ほぼほぼ野外活動記

週末の超スローライフを綴ります ポタリング、釣り、キャンプ、ハイキング、散策、外飯、庭呑み・・・

史跡

【狂犬通信 Vol.125】相模國高座郡・高木氏陣屋

高木氏陣屋は、海老名のコピー機製造会社工場から南に下り、新幹線のガードを過ぎたあたりの寒川町倉見に有りました。高木氏は三河の国人・水野氏(徳川家康の母方の実家)の家臣で、織田信長に従っていましたが、主家の水野氏が勘気を被り、粛清されたため、…

【狂犬通信 Vol.124】神崎遺跡環壕見学会

綾瀬市の南西端にある国指定史跡・神崎遺跡の環壕見学会(最終)に行ってみました。神崎遺跡は弥生時代の環壕集落遺跡で、東海地方からの移住者が50年程度居住した集落とされています。発掘された環壕は埋め戻さずに普段は蓋をした状態で保存され、年に1度公開…

【狂犬通信 Vol.123】下総國葛飾郡・久喜陣屋

久喜陣屋はJR久喜駅の北西約1kmにある御陣山公園一帯にありました。この陣屋は、旗本・米津氏の陣屋でしたが、出羽國に加増を受けて大名に列したため、陣屋を出羽に移転したため、廃止と成りました。陣屋周辺は完全に市街化されて陣屋の痕跡は全く留めません…

【狂犬通信 Vol.122】下総國葛飾郡・足利政氏館

足利政氏館跡は、JR久喜駅の北西約1kmにある甘棠院という寺院がその場所です。足利政氏は、初代古河公方・足利成氏(享徳の大乱を引き起こし、関東における戦国時代のきっかけを作った人物)の嫡男で、古河公方を継承した人物です。公方と成った政氏でしたが、…

【狂犬通信 Vol.121】下総國葛飾郡・天神島城

天神島城は幸手駅の南東約1.5km、東西方向に流れる倉松川が南に向きを変える場所に築かれていました。この城は幸手城を築城する前に一色氏が居城としていた城で、幸手城に移転後に廃城と成っていたのを天正の終わりごろに再び居城として修築されたと伝えられ…

【狂犬通信 Vol.120】下総國葛飾郡・幸手城

幸手城は東武鉄道の幸手駅前に有ったとされついます。かつて城内に有ったとされる一色稲荷神社が駅前に残り、解説板が設置されています。室町期、幸手を支配したのは、古河公方の奉公衆である一色氏です。一色氏は足利将軍家の分家である吉良氏の分家であり…

【狂犬通信 Vol.119】下総國葛飾郡・栗橋城

栗橋城は、東武鉄道の南栗橋駅の東側2km、権現堂川を渡った、茨城県五霞町にあります。この辺りは、千葉、茨城、埼玉の県境が入り組んでいて、権現堂川の西側は埼玉県の栗橋、下流に5km位行くと、千葉県の関宿です。栗橋城は築城された経緯は不明ながら、享…

ポポベール

土曜日のこと。 突き抜けるような青空の一日でしたが、またも自転車はハートが拒みました。で、心の向くままにパン屋を求めて散歩することに。これだけ肥えても、まだ太りたいようです。 ・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥ このところ、アンデルセンとかコロワイ…

【狂犬通信 Vol.118】甲斐國都留郡・上野原城

中央高速の上野原ICの西側1km程度の位置に上野原城は有りました。この城は在地領主であった古郡氏(ふるこおり)の屋形とされる城です。古郡氏は鎌倉期の和田義盛の乱に加担して没落し、戦国期に武田信玄の命により、加藤氏がこの地に配置されたと伝わります。…

【狂犬通信 Vol.117】諏訪関所

上野原市街の東側でR20は、左斜めに分岐しますが、そのまま直進する道が旧甲州街道です。この道を直進すると台地を下り、桂川(相模川)を渡り神奈川県に入りますが、台地の端に諏訪関所跡が有ります。関所跡の西に500m程の場所に諏訪神社があり、関所の名前は…

加齢と肥満

これは一昨日「文化の日」のポタの記録です。 向かったのは目久尻川。そうです。綾瀬の狂犬氏に紹介いただいた石碑を見てみようと思い立ちました。 爽やかな朝 左岸を走っていると、ガーミン社のGPSサイコンが、例の「Sharp Bend on Road」を表示しました。 …

【狂犬通信 Vol.116】内藤橋前の石塔

今回紹介してもらった石塔は、私のポタルート沿道にあります。今朝、早速立ち寄ってみました。綾瀬の狂犬氏と初コラボです。 ・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥ 目久尻川が東名と交差する場所に掛かる内藤橋の前に謎の石塔が立っているのですが(道祖神か庚申塔だ…

【狂犬通信 Vol.115】小机城の考察2

小机城のもう一つ気になる点として、東西二つの曲輪のどちらが主郭であるかという疑問と、二つの曲輪の間に設けられた、細長い小さな曲輪は何を目的としているかという点です。この細長い曲輪を注意してみると、二つの主要な曲輪より高く、東西二つの曲輪か…

【狂犬通信 Vol.114】小机城の考察

小机城の特長は何と言っても、東西二つの主要な曲輪を取り巻く、城の規模に不釣り合いな位に巨大な空堀でしょう。曲輪を取り巻く様に掘られた堀は横堀と呼ばれ、戦国後期の城の特長の一つです。小机城のもう一つの特長の一つに、横堀の外側、丘陵の斜面に対…

【狂犬通信 Vol.113】駿河國富士郡・蒲原城

蒲原城は蒲原宿の北側の山に築かれています。以前に来たときには綺麗に整備されていたのですが、現在は荒れ放題になっていて驚きました。一旦整備したあと、放置プレイをしているのか、コロナのため放置しているのか不明ですが…。 ※内容に誤りがある事があり…

【狂犬通信 Vol.112】北条新三郎氏信の墓

NHKBSプレミアムの「英雄たちの選択」で、「三増峠の戦い」が取り上げられました。 www.nhk.jp 今回の記事は、この番組が放映された後に「三増峠の戦い」繋がりで書かれました。 ・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥ 三増合戦の結果、どの様な影響が有ったのか、一…

【狂犬通信 Vol.111】甲斐國都留郡・小菅城

久しぶりの狂犬通信。前回の日之出城を訪れた帰り道の記録です。 toei-sportif.hatenablog.com 塩山からの帰りは、柳沢峠(R411)~小菅村~鶴峠~藤野で帰って来たので、小菅城の前を通るので、30分位で見てまわれる小城なので寄って見ました。(小さいけど駐…

【狂犬通信 Vol.110】甲斐國巨摩郡・日之出城

日之出城は新府城の東約3km、塩川の対岸にあります。この城は、上杉禅秀の乱で甲斐国守護職・武田信満が討死して以来、甲斐国の支配権を巡り、武田信長、伊豆千代丸親子と信濃守護職・小笠原氏が甲斐に送り込んだ跡部氏、甲斐国守護代・逸見氏が争う状況にお…

【狂犬通信 Vol.109】甲斐國巨摩郡・武田信義館

武田信義は甲斐源氏武田氏の4代目の当主です。打倒平氏を廻る源氏の主導権争いは、源頼朝と木曽義仲の争いが有名ですが、最近の研究では打倒平氏の旗頭として武田信義も朝廷から期待されていた様です。しかし、武田信義は当初は頼朝とは別に挙兵して独自の勢…

【狂犬通信 Vol.108】下総國千葉郡・御茶屋御殿

御茶屋御殿は、モノレールの千城台駅の東側約3km程の所にあります。御茶屋御殿とは、徳川家康が鷹狩を行う時の休息所として整備された施設です。徳川家康は鷹狩の猟場として東金を使用しましたが、その東金と船橋とこの3ヶ所に御茶屋御殿が設けられ、東金~…

【狂犬通信 Vol.107】下総國印旛郡・和良比城

和良比城は総武線四街道駅の南東500m位の所にあります。(東口に降りて、駅前の道路を真っ直ぐと、超解りやすいです)城は一辺が30m位の方形の城でしたが、開発で破壊され、南西の角部のみが公園として残ります。破壊前の写真を見ると、状態が良かっただけに惜…

【狂犬通信 Vol.106】下総國印旛郡・鹿渡城

鹿渡城は総武線四街道駅と物井駅の中間、線路の直ぐ東側にあります。在地領主の城で、四街道市内では恐らく最大規模で自然公園と成っているって事前情報だったのですが…。城の入口の目印に自然公園の案内板が出ているはずが見当たらない。地図を見ながら辺り…

【狂犬通信 Vol.105】下総國印旛郡・古屋城

古屋城は総武線物井駅の北西約2kmの半島状に台地が競りだした先端に築城されています。この城は伝承も含めて記録が全く無い謎の城です。伝承しら無かった為に城郭遺跡として認識されたのは、昭和の後半に成ってからの様です。1980年代に調査が行われたところ…

【狂犬通信 Vol.104】甲斐國都留郡・谷村陣屋

谷村城趾碑の立つ小学校の道路の向かい側にある裁判所の敷地に、谷村陣屋の碑が立っています。この陣屋は谷村城が廃城に成った後、天領と成った都留郡を支配するために設置された代官所です。廃城と成った城の跡地に設けられ、明治まで天領を支配しました。…

【狂犬通信 Vol.103】甲斐國都留郡・谷村城

谷村城は都留市役所の北側一帯にありました。詰城の勝山城とは桂川を挟んだ対岸にあり、昔は桂川に橋が架かり、一体の城郭として運用されていました。谷村は都留郡の中心であり、この城は戦国期~江戸初期まで都留郡の中心地でしたが、甲斐國が天領&旗本領と…

【狂犬通信 Vol.102】甲斐國都留郡・勝山城

都留郡の勝山城は富士急の谷村駅の西側、桂川を渡った場所に築かれています。この城は都留郡の領主である小山田氏の居城であった谷村城の詰城として築城された様です。武田氏滅亡のおり、小山田信繁が武田勝頼を自身の居城である岩殿城に迎える事を提案した…

【狂犬通信 Vol.101】駿河國益津郡・石脇城

石脇城は東名高速の日本坂PAの直ぐ南東側にあります。駿河における北条早雲(伊勢盛時)の城と言えば、続日本100名城にも選ばれた興国寺城ですが、最初に与えられたのはこの石脇城の様です。解説板に依れば、文明年間(応仁の乱の最中)に今川義忠によって与えら…

【狂犬通信 Vol.100】駿河國益津郡・当目砦

当目砦はかんぽの宿焼津の直ぐ南側に有ったとされています。この砦の海側を大崩海岸沿いに駿府に抜ける道(当目坂)があり、持舟城の前哨陣地として配置されていたと考えられています。天正7年、駿河に侵攻した徳川勢はこの砦を落とし、当目坂を抜けて持舟城を…

【狂犬通信 Vol.99】駿河國益津郡・花沢城

花沢城はあの日本坂トンネルの焼津側出口付近に築かれています。この場所は東名高速、新幹線、東海道線、R150バイパスが密集して通っている事から、交通の要衝てある事が解ります。鉄道も車道も無かった中世に往来の役目を担ったのが府中道(日本坂道)です。…

【狂犬通信 Vol.98】駿河國有渡郡・持舟城

持舟城は静岡市内の西の外れ東海道線用宗駅の裏山にあります。この場所は駿府から焼津方面へ抜ける日本坂峠の登り口であり、城の北から東側に日本坂からの道が城に沿う様に続いていて、この城が駿府防衛のための重要な城で有った事が解ります。城の主郭から…