ほぼほぼ野外活動記@横浜

週末の超スローライフを綴ります ポタリング、釣り、キャンプ、ハイキング、散策、外飯、庭呑み・・・

史跡

【狂犬通信 Vol.105】下総國千葉郡・御茶屋御殿

御茶屋御殿は、モノレールの千城台駅の東側約3km程の所にあります。御茶屋御殿とは、徳川家康が鷹狩を行う時の休息所として整備された施設です。徳川家康は鷹狩の猟場として東金を使用しましたが、その東金と船橋とこの3ヶ所に御茶屋御殿が設けられ、東金~…

【狂犬通信 Vol.104】甲斐國都留郡・谷村陣屋

谷村城趾碑の立つ小学校の道路の向かい側にある裁判所の敷地に、谷村陣屋の碑が立っています。この陣屋は谷村城が廃城に成った後、天領と成った都留郡を支配するために設置された代官所です。廃城と成った城の跡地に設けられ、明治まで天領を支配しました。…

【狂犬通信 Vol.103】甲斐國都留郡・谷村城

谷村城は都留市役所の北側一帯にありました。詰城の勝山城とは桂川を挟んだ対岸にあり、昔は桂川に橋が架かり、一体の城郭として運用されていました。谷村は都留郡の中心であり、この城は戦国期~江戸初期まで都留郡の中心地でしたが、甲斐國が天領&旗本領と…

【狂犬通信 Vol.102】甲斐國都留郡・勝山城

都留郡の勝山城は富士急の谷村駅の西側、桂川を渡った場所に築かれています。この城は都留郡の領主である小山田氏の居城であった谷村城の詰城として築城された様です。武田氏滅亡のおり、小山田信繁が武田勝頼を自身の居城である岩殿城に迎える事を提案した…

【狂犬通信 Vol.101】駿河國益津郡・石脇城

石脇城は東名高速の日本坂PAの直ぐ南東側にあります。駿河における北条早雲(伊勢盛時)の城と言えば、続日本100名城にも選ばれた興国寺城ですが、最初に与えられたのはこの石脇城の様です。解説板に依れば、文明年間(応仁の乱の最中)に今川義忠によって与えら…

【狂犬通信 Vol.100】駿河國益津郡・当目砦

当目砦はかんぽの宿焼津の直ぐ南側に有ったとされています。この砦の海側を大崩海岸沿いに駿府に抜ける道(当目坂)があり、持舟城の前哨陣地として配置されていたと考えられています。天正7年、駿河に侵攻した徳川勢はこの砦を落とし、当目坂を抜けて持舟城を…

【狂犬通信 Vol.99】駿河國益津郡・花沢城

花沢城はあの日本坂トンネルの焼津側出口付近に築かれています。この場所は東名高速、新幹線、東海道線、R150バイパスが密集して通っている事から、交通の要衝てある事が解ります。鉄道も車道も無かった中世に往来の役目を担ったのが府中道(日本坂道)です。…

【狂犬通信 Vol.98】駿河國有渡郡・持舟城

持舟城は静岡市内の西の外れ東海道線用宗駅の裏山にあります。この場所は駿府から焼津方面へ抜ける日本坂峠の登り口であり、城の北から東側に日本坂からの道が城に沿う様に続いていて、この城が駿府防衛のための重要な城で有った事が解ります。城の主郭から…

【狂犬通信 Vol.97】甲斐國八代郡・勝山城

勝山城は山梨県には複数存在します。城マニアに知られているのは、都留市にある勝山城で、見応えのある戦国末期の城です。歴史的に有名なのは、この八代郡にある勝山城の方です。場所は甲府南ICの直ぐ北東側に成ります。武田信玄の父の武田信虎は、父である…

【狂犬通信 Vol.96】甲斐國八代郡・市川陣屋

市川陣屋は身延線の市川本町駅の北西約200mの位置にありました。この陣屋は、甲斐國八代郡、巨摩郡の天領7万4千石を管理するための代官所です。明治維新以降も役所や学校として使用されていましたが、明治終り頃までに全て廃止&移転し、陣屋西門のみ移築され…

【狂犬通信 Vol.95】甲斐國八代郡・上野城

上野城は身延線の甲斐上野駅の直ぐ南側の舌状台地に築かれた城です。城主は武田信玄の末弟(武田信玄は男兄弟が何人居たのか正確には不明です。父の信虎は駿河に追放後の子もいるためです。信虎が甲斐で作った最後の男子です)で、武田24将の一人の一条信龍で…

【狂犬通信 Vol.94】遠江國周智郡・天方城

天方城は森市街の東側に築かれた天方氏の居城ですが、昭和になって発見された資料により従来の天方城は森市街の北側にあり、この城は戦国後期に新たに築城された城である事がわかり、従来の天方城と区別するために天方新城と呼ばれています。天方氏は藤原姓…

【狂犬通信 Vol.93】遠江國周智郡・真田山城

真田山城は遠江一之宮、小國神社の南側約2kmの位置にあります。この一帯は小國神社の社領であり、武藤氏が神職と地頭職を兼ねて支配していました。この城は武田氏と徳川氏の抗争が始まった時期に武藤氏によって築城されたようです。武藤氏は鎌倉期から戦国中…

【狂犬通信 Vol.92】遠江國周智郡・堀之内城山

堀之内城山は静身の城山の南側700m程度の所にあります。この城は平成になってから発見された城で、城の構造から徳川氏が犬居城攻撃の為に築城した陣城と言われています。旧秋葉街道は小奈良安集落から林道として、瑞雲坂迄続いています。堀之内城山はこの林…

【狂犬通信 Vol.91】遠江國周智郡・静身の城山

静身の城山は、犬居城から南に約1kmの気田川対岸の山上に築かれた犬居城の支城です。城の東側を旧秋葉街道が通り、瑞雲坂と呼ばれる旧秋葉街道最大の難所が犬居集落に向けて下っています。秋葉街道は駿河湾に面した相良から長野の塩尻まで続く塩の道と呼ばれ…

【狂犬通信 Vol.90】遠江國周智郡・犬居城

犬居城は幕末の博徒の清水次郎長の一の子分、森の石松で有名な森町から北に20kmの山中、火の神を祭った秋葉山神社下社の門前町である犬居集落の北東側にあります。鎌倉期に気田川流域の地頭職に任じられた天野氏によって築かれました。天野氏は今川氏に従っ…

【狂犬通信 Vol.89】武蔵國橘樹郡・小沢城

小沢城は読売ランド近くの読売ジャイアンツ屋内練習場の東側にあります。戦国前期の典型的な谷戸式城郭で、川崎市内で唯一原形を保っている城郭遺跡です。多摩川流域の平野部に面した急峻な丘陵の尾根を城壁として、仙石谷と呼ばれる南側の谷間に向かって、…

【狂犬通信 Vol.88】上野國邑楽郡・小泉城

小泉城は東武小泉線の小泉町駅西側にあります。戦国期に一帯の領主であった富岡氏の居城で、小田原征伐後に廃城となりましたが、江戸期の大名の居城並に立派な遺構が残ります。富岡氏は結城氏の一族で、永享の乱で自刃した鎌倉公方・足利持氏の遺児、成氏が…

【狂犬通信 Vol.87】下野國安蘇郡・阿曽沼城

阿曽沼城は阿曽沼氏の居城で、佐野市街、浅沼八幡宮の場所にありました。現在は遺構はほぼ消滅して、神社社殿裏に、幅8m位の空堀が、長さ50m程度残るのみです。阿曽沼氏は戦国期に佐野氏の重臣であったことから、田沼氏(悪名高き側御用人、田沼意次が有名で…

【狂犬通信 Vol.86】下野國安蘇郡・正光寺城

正光寺城は足利市と佐野市を分ける須花峠を佐野市側に下った集落の東側にあります。天正13年、足利の長尾氏は須花峠を越え、佐野氏の須花城を奪取しました。佐野氏16代当主の佐野宗綱は須花城を奪還すべく出陣し、須花城の東1km程の所にある正光寺城に入り、…

【狂犬通信 Vol.85】下野國安蘇郡・唐沢山城(続)

この唐沢山城に来るのは2回目で、前回来たのは90年代です。この城は関東では珍しい主要部が総石垣の城で、マニアで無い人にも割と知られた城で、続日本100名城にも選ばれました。約25年振り?に唐沢山城を歩いて見ると、主要部の外側に関東の中世城郭らしく…

【狂犬通信 Vol.84】下野國安蘇郡・唐沢山城

唐沢山城は佐野市街の北側に築城された佐野氏歴代の居城です。上杉謙信が十回に渡り攻めたにもかかわらず、落城させる事が出来なかった(援軍を得て撃退&和睦)ことから、関東七名城に数えられています。佐野氏は鎌倉幕府の御家人であった名族で、室町期に…

【狂犬通信 Vol.83】武蔵國多摩郡・藤橋城

藤橋城は今井城の西側1.5km程度の住宅地の中にあります。北側に湿地(現在は田んぼ)のある小台地の縁に面した単郭の城です。50m位の楕円形の土塁で囲まれていて、この様子はGoogleマップの航空写真でも確認できます。東側には幅5m位の空堀がありますが、西側…

【狂犬通信 Vol.82】武蔵國多摩郡・今井城

今井城は、八高線金子駅の西側1.5km程度の所にあります。在地領主の館跡とされていますが、発掘調査の結果、主郭の土塁の中から多数の板碑や骨壺、焼骨が発見された事により、在地領主の城を外部勢力が作り替えた城である事が判っています。(先祖代々の墓地…

【狂犬通信 Vol.81】甲斐國都留郡・長峰砦

長峰砦は中央道の談合坂SA下り線のすぐ東側にありました。遺構は中央道工事で壊滅。今は高速の側道脇に城址碑と解説板が立つのみです。高速の建設で地形が変わり、元の姿は全く解りませんが、高速の本線がある場所は、東西に延びる丘陵の尾根となっていて、…

【狂犬通信 Vol.80】恋塚一里塚

恋塚一里塚は犬目集落西側にある甲州街道21番目の一里塚です。(1里=4kmとすると江戸から84kmって事ですな)甲州街道の上野原~猿橋間は現在のR20から大きく北に外れ、県道30号線に概ね沿っていました。この間は、山間部のルートですが、風光明媚なので、赤…

藤沢市宮原~遠藤ポタ

これは今朝のポタの記録です。 向かったのは西です。もう、くどくど書くのはやめましょう^^;目久尻川の日です。 産川橋の交差点 交差点手前で、何かが琴線に引っかかった。ちょうど赤信号で止まったので、確かめにいきました。 海老名郷土かるたを見つけた(^…

【狂犬通信 Vol.79】犬目の平助墓

犬目の平助は、江戸後期に甲斐で発生した大規模一揆の二人の指導者の一人です。因みに犬目は甲州街道の宿場町の事で、平助の目が犬に似ている訳ではありません。(そう思ったのは私だけか…。)犬目の平助については、以前調べたのですが、既に記憶の彼方へ……

【狂犬通信 Vol.78】矢坪坂古戦場

矢坪坂古戦場は、中央道談合坂スマートICの出入口付近にあります。享禄3年、甲斐に侵攻した北条氏綱(小田原北条氏2代目)の軍勢を小山田越中守信有が迎え撃った古戦場と解説板にあります。小山田勢は総崩れとなり、多数が討死したとも書かれています。北条…

【狂犬通信 Vol.77】上野國勢多郡・深沢城

深沢城(神梅城)は五覧田城の南西5kmに築かれている、阿久沢氏の居城です。五覧田城とセットで根利通の南側を押さえる役を担いました。この城の面白いところは、断崖に面した主郭と思われる郭が廻りの郭より低い位置にあり、丸見えである点です。更にこの郭…