ほぼほぼ野外活動記@横浜

週末の超スローライフを綴ります ポタリング、釣り、キャンプ、ハイキング、散策、外飯、庭呑み・・・

史跡

【狂犬通信 Vol.77】上野國勢多郡・深沢城

深沢城(神梅城)は五覧田城の南西5kmに築かれている、阿久沢氏の居城です。五覧田城とセットで根利通の南側を押さえる役を担いました。この城の面白いところは、断崖に面した主郭と思われる郭が廻りの郭より低い位置にあり、丸見えである点です。更にこの郭…

【狂犬通信 Vol.76】上野國勢多郡・五覧田城

五覧田城はわたらせ渓谷鐵道花輪駅の西側に築かれた山城です。永禄9年、碓氷峠を越えて上野に侵攻した武田勢は山内上杉氏の重臣・長野氏の箕輪城を陥落させ、西上野の支配を確実なものとします。これにより、上杉謙信が関東に出陣する際に使用していた。赤城…

【狂犬通信 Vol.75】上野國利根郡・沼田城

沼田城は沼田市街の西の外れ、利根川が台地を削った縁に築かれています。在地の国人・沼田氏の居城でしたが、三国峠を越えて平地に出た平地にあり、街道の結束点でもある要地のため、上杉謙信が関東侵攻の拠点として接収しました。以降は上杉氏の拠点として…

【狂犬通信 Vol.74】上野國利根郡・名胡桃城

名胡桃城は関越道の月夜野ICの利根川の対岸に位置する城です。この城は小田原北条氏の致命傷と成った名胡桃事件の舞台と成った城です。天正17、小田原北条氏の豊太閤帰属の条件であった沼田領問題は利根川以西を真田領とする小田原北条氏にとっては不満の残…

【狂犬通信 Vol.73】駿河國志太郡・潮城

潮城は朝日山城の南側約1km、藤枝BPと新東名連絡道の交差点付近に築かれていました。Googleマップの標記では明神社の裏山が城址と成っていて、訪問した方のHPも殆ど明神社の裏と成っている(Googleマップの情報を鵜呑みにして、騙されたと思われます)のです…

【狂犬通信 Vol.72】駿河國志太郡・朝日山城

朝日山城は新東名の藤枝岡部ICと藤枝BP(R1)を結ぶ連絡道脇に築かれています。この城は今川氏重臣の岡部氏の居城とされる城です。岡部氏は江戸期には今川氏旧臣の中では出世頭とも言うべき存在で、岸和田城主として6万石の城主格の大名として明治まで続いてい…

【狂犬通信 Vol.71】駿河國益津郡・田中城

田中城は藤枝市街の西の外れに築かれていた城です。明治迄使用されていましたが、土の城の宿命か高度経済成長期に破壊され、市街地の所々に堀と土塁の一部を残すのみです。この城が有名なのは、本丸を中心に同心円状の縄張りを持つことです。城は破壊されて…

【狂犬通信 Vol.70】遠江國榛原郡・諏訪原城(続)

諏訪原城に来るのは、3~4回目位ですが、来る度に度に整備が進んでいます。最初に来たときは、駐車場もなく(諏訪神社の駐車場はあった)、辺り一面が茶畑だったのを思い出します。今回は駐車場の所に案内施設が新設され、発掘成果等の簡単な展示が行われて…

【狂犬通信 Vol.69】遠江國榛原郡・諏訪原城

続日本100城の1つ諏訪原城です。この城は遠江と駿河の境を流れる大井川の西岸、金谷市街の西側の牧之原台地の縁に築かれています。天正元年、武田勝頼は遠江侵攻の橋頭保として、この城を築城します。しかし、天正3年に長篠合戦で大敗すると、徳川勢に奪取…

【狂犬通信 Vol.68】井出の沢古戦場

本町田の外れ、鎌倉街道と鶴川街道の交差点付近が井出の沢古戦場です。井出の沢合戦は、健武2年、北条高時の遺児の北条行時が鎌倉幕府再興を目指して挙兵した中先代の乱(中先代は、北条行時の事)において、鎌倉を目指して鎌倉街道を南下する北条行時の軍勢…

【狂犬通信 Vol.67】武蔵國橘樹郡・大丸城

大丸城は南武線の南多摩駅の直ぐ南側の位置にありました。解説板にある写真を見ると、丘陵の頂きに築かれた単郭の城で、昭和の終わりまで良好な状態で残存していた様です。しかし、多摩ニュータウンの建設に伴い城の築かれていた丘陵ごと完全に削り取られて…

【狂犬通信 Vol.66】武蔵國橘樹郡・関戸城

霞ノ関柵列のある熊野神社から西に向かって丘陵を1.5km程度登った辺りの住宅地の中に、関戸城天守台と書かれた謎の標柱があります。標柱に書かれた内容は日焼けで半分位しか読めないので、日本城郭大系の関戸城の記載を読んで見ると、江戸期に編纂された新武…

【狂犬通信 Vol.65】霞ノ関南木戸柵列跡

霞ノ関南木戸柵列は、関戸に有った関所の南側の木戸に附属していた柵列です。鎌倉期のこの関所は、谷の北側と南側の2ヶ所に木戸と柵を設けていた様で、北側は関戸古戦場の表示板のある地蔵堂の辺りに、南側の木戸は地蔵堂から南に300m程度の所にある熊野神社…

【狂犬通信 Vol.64】関戸古戦場

関戸古戦場は、分倍河原古戦場から南西に多摩川を渡った3km位、京王線の聖磧桜ヶ丘駅の南東1km程度の所にあります。関戸古戦場と言われていますが、実費的には分倍河原合戦の最終局面が戦われた場所に成ります。新田勢に側面を突かれ、総崩れと成った幕府勢…

【狂犬通信 Vol.63】三千人塚

三千人塚は、分倍河原古戦場碑から東に約3km程度、東京競馬場の近くにあります。三千人塚という名前から、分倍河原合戦の戦死者を埋葬した場所と伝えられて来ましたが、発掘調査の結果、塚は江戸期のもので、塚の付近からは鎌倉~室町期の骨が入った壷が数個…

【狂犬通信 Vol.62】分倍河原古戦場

現在、BSプレミアムで「太平記」を再放送しています。前回の放送で、新田義貞が挙兵して、分倍河原の合戦が描かれると楽しみにしていましたが、残念ながらスルーされてしまいました。 ・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥ 分倍河原古戦場碑は、分倍河原駅の南側約1…

【狂犬通信 Vol.61】駿河國駿東郡・葛山氏館跡

葛山氏館は葛山城の南側、約300m程度の処にあります。地元の伝承ては葛山氏館跡といわれ、周囲は葛山氏の重臣達の屋敷とされ、半○氏屋敷跡とされる場所に建つ家の表札を見ると、同じ名字でした。400年以上、同じ場所に住んでるんですな…。館跡は一辺が約100m…

【狂犬通信 Vol.59】新田左中将義貞見参!!

府中くんだりまで来て、府中基地のF-104だけ見て帰るのは勿体ないので、かねてから気になっていた分倍河原合戦の史跡にも来てみました。新田義貞の騎馬像は、京王線の分倍河原駅前にあります。新田義貞は南朝方の総大将ですが、忠義の士として名高い楠木正成…

【狂犬通信 Vol.56】伊豆国田方郡・堀越御所

堀越御所は韮山の執権北条氏の菩提寺の願成就院の直ぐ北側にあります。鎌倉公方・足利成氏は父の仇である関東管令・上杉憲忠を謀殺しますが、上杉氏の有力者達は当然猛反発し、足利成氏は鎌倉を追われ古河に御所を構えます。(享徳の乱)これに対し、時の将…

【狂犬通信 Vol.55】伊豆國田方郡・修善寺城

修善寺城は修善寺駅と温泉街の間の城山に築かれていた城です。この山には70年代後半までケーブルカーが設置されていて、修善寺観光の一翼を担っていたようです。現在は山頂に携帯の基地局が設置されています。観光地時代と基地局の建設に伴う改変で、城の遺…

【狂犬通信 Vol.54】駿河國駿東郡・葛山城(続)

葛山城は葛山氏の居城とされていますが、現在の遺構を見ると、尾根を東西の二重堀切で分断し、その間を城の中心として、主郭と二の郭を置き、周囲を土塁や帯郭で固めた非常に堅固な造りと成っていて、おそらく武田氏の支配下において、根本的に作り替えられ…

【狂犬通信 Vol.53】駿河國駿東郡・葛山城

山城は東名裾野IC近くに築かれた葛山氏の居城です。葛山氏は大森氏と同族で、鎌倉期~戦国期の終りまで駿東郡を支配した一族です。鎌倉期には執権北条氏の重臣として権勢を振るい、室町期には幕府の奉公衆として名を連ねました。北条早雲の伊豆討ち入りの際…

【狂犬通信 Vol.52】勝沼氏館

笹子峠を越えて甲府盆地の入口にある勝沼氏館。もう何回来たか覚えてないですが、寄りやすいのでつい来てしまいます。ここは何時来ても、綺麗に草刈りされている割りに、人が居なくて静かで良いですな…。 ※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)

【狂犬通信 Vol.51】上礒部土塁

礒部集落から北に約1km、相模川大凧祭り会場の辺りに、礒部城の関連遺跡とされる土塁が残されています。この土塁は比較的最近発見された遺跡で、相模原市の指定史跡と成っています。土塁は東西方向に約60mあまり、高さは現状で約1m位です。私有地で立入禁止…

【狂犬通信 Vol.50】相模国高座郡・磯部城

磯部城は相模原市の最南部の下磯部集落に有ったとされる城です。相模川東岸は相模原の辺りでは武相台地の上ですが、礒部の辺りで台地は川岸を離れます。そのため、相模川から農業用水を取り入れるための堰(礒部頭首工)が設けられています。この城は山内上…

【狂犬通信 Vol.49】角○伍長の碑

相模原の礒部城を見に行ったのですか、礒部集落の中で日露戦争で戦没した兵士の碑を見つけました。碑の前面の文字は光線の加減もあり読めなかったのですが、碑の側面に書かれた明治38年4月3日付の鴨緑江軍司令官川村大将の感状は概ね読めました。それに依る…

【狂犬通信 Vol.48】梨の木坂横穴墓

梨の木坂横穴墓は、座間駅から踏切を渡って、旧市役所方面に向かう坂道の崖下にあります。墓穴は非公開らしく、フェンスにある扉は鍵が掛かっていて入れませんでした。この道は抜け道によく使われるので、諸兄も墓穴の上を通っているかも知れませんな。 ※内…

【狂犬通信 Vol.47】鷹番塚横穴墓

鷹番塚横穴墓は、星谷寺前の坂道を登ったところにあります。座間や海老名には古墳同様に横穴墓も多いですが、ここは横穴が観察できる様になっています。解説板を読むと、墓穴からは人骨や副葬品も出土した様ですな。でも、横穴墓より古い古墳と違って、横穴…

【狂犬通信 Vol.46】相模國高座郡・座間城

座間城は星谷寺近くにあったとされています。座間城という名は、江戸期に編纂された新相模風土記に記載されていますが、実態は室町中期に座間7ヶ村の地頭職に任じられた白井織部是房の地頭屋敷です。白井織部是房は、名字から千葉氏の一族と思われます。千葉…

【狂犬通信 Vol.45】陸軍士官学校遥拝所方位盤

思い込みとは恐ろしいもので、「相武台」という地名は相模と武蔵に跨がる台地の意味だと堅く信じていました。しかし、この地名の由来は1937年に市ヶ谷から移転してきた陸軍士官学校(市ヶ谷の陸軍士官学校が市ヶ谷台と呼ばれていたのに因んで、昭和天皇が座…