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今でしょ!

記憶に残る場所-富山県

【狂犬通信 Vol.155】 越中國新川郡富山城

富山城は続日本100名城に選出されています。29城目のスタンプを貰いに行って来ました。正直、現状の遺構を鑑みて、続日本100名城に選ばれている事に疑問を感じます。保存状態はあまりよくなく、歴史的な意味合いもそれほど強くありません。恐らくは観光面が…

【狂犬通信 Vol.154】 越中國砺波郡増山城

増山城は続日本100名城に選出されている城で、富山県では高岡城が日本100名城に、富山城と増山城が続日本100名城と成っています。この城は中世山城としてはよく知られていて、某国営放送なんかにも登場します。この城に来るのは3回目?で、続日本100名城のス…

【狂犬通信 Vol.153】 生地台場の大砲

生地台場にはカノン砲(長砲身から水平に近い弾道で砲弾を打ち出す大砲)では無く、臼砲(短砲身から45度程度の角度で山なりに砲弾を打ち出す大砲。迫撃砲は臼砲の一種)が配置されていた様です。。レプリカ砲が2門展示されていましたが、これはオランダから輸入…

【狂犬通信 Vol.152】 越中國新川郡生地台場

生地台場は富山湾の最東端、生地鼻に加賀藩が黒船来航に伴う海岸防衛強化のために嘉永年間に築城しました。越中国内には他に越中國西部の氷見~高岡の辺りに3ヶ所築かれています。いずれも近くに湊があり、港湾防衛を主眼にしていたと思われます。しかし、越…

【狂犬通信 Vol.151】 門口の門

大道城から尾根道を北側約1km程度行った所に門口の門はあります。解説板には大道城の大手門との伝承があるとありますが、この遺構と大道城との間には何の遺構も存在しないため、施設としての一体性は感じられないため、大手門の可能性は低いです。しかし、同…

【狂犬通信 Vol.150】 越中國婦負郡大道城

富山県西部は飛弾山地が大きく平野部に張りだし、富山平野と砺波平野に分断しています。大道城はこの山地の中央部分、山田谷集落の南東の尾根上にある城です。越中の城塞の中でも訪問難易度はずば抜けて高い城で、今回、越中まで来た最大の目的の城です。平…

【狂犬通信 Vol.149】 越中國射水郡飯久保城

飯久保城は能越道の氷見南IC出口付近にある越中国人衆の狩野氏の居城です。狩野氏は伊豆の狩野氏(安土桃山文化を代表する絵師として有名)と同族と考えられていますが、確かな証拠はありません。射水郡の他の国人衆同様に神保氏に従っていましたが、上杉→織田…

【狂犬通信 Vol.148】  越中國射水郡森寺城

森寺城は氷見市街の北西の丘陵に築城されています。この位置は能登國の中心である七尾からの街道が氷見の平野部に出る位置にあります。この城は能登國守護の畠山氏が越中侵攻の拠点として築いたと言われています。能登の畠山氏は越中守護で室町幕府の要職を…

【狂犬通信 Vol.147】 中國射水郡海老瀬城

海老瀬城は氷見市の市街地の北西の丘陵にある城です。城に関する伝承や、文書の類いは全く残されていないため、築城目的や時期は謎の城です。ただし、浅い空堀や低い土塁等の遺構の状態や、北側2km程度の位置に射水郡最大の城である森寺城が在ることから、森…

【狂犬通信 Vol.146】 越中國砺波郡一乗寺城

一乗寺城は富山県と石川県の県境、R359の北側の尾根上にある城です。天正12年、織田信雄・徳川家康連合と豊臣秀吉が戦った小牧長久手合戦ですが、北陸でも加賀・能登の前田利家は豊臣方、越中の佐々成政は織田・徳川方に別れて激しく交戦しました。その北陸…

【狂犬通信 Vol.145】般若野古戦場

般若野古戦場は上杉謙信の祖父・長尾能景が一向一揆と戦って討死した古戦場…。だと思って行ったのですが、源平合戦の古戦場でした。(途中で薄々気付いてましたが…)戦史に名高い倶利伽羅峠の合戦の二日前に平家の前衛と、木曾義仲の軍勢が戦った倶利伽羅峠の…

【狂犬通信 Vol.144】越中國砺波郡蓮沼城

蓮沼城は越中國砺波郡の守護代・遊佐氏の居城です。越中國は江戸初期の段階で約50万石の大国ですが、有力な戦国大名が誕生せず、国内勢力同士の争いを国外の有力大名が支援するという構図が戦国末期まで続きます。その理由の1つが越中國守護は、室町幕府三管…

【狂犬通信 Vol.143】田屋川原古戦場

文明13年(1481年)、加賀國守護の富樫氏は加賀國内の一向一揆の鎮圧に手を焼き、隣接する越中國砺波郡に逃げ込んだ一向衆の討伐を砺波郡の有力国人の福光石黒氏に依頼します。石黒氏は一向衆と対立する他の仏教勢力の援軍を得て、一向衆の拠点である瑞泉寺へ…

【狂犬通信 Vol.142】越中國砺波郡井波城と瑞泉寺

瑞泉寺は戦国期に越中一向一揆の中心だった寺院です。江戸期に前田家から手厚い保護を受けたので、現在は壮大な伽藍と成っていますが、戦国期には他の一向一揆の寺院同様に寺の周囲に堀と土塁を廻らす城郭寺院でした。現在の瑞泉寺の隣が戦国期の瑞泉寺の跡…

【狂犬通信 Vol.141】越中國新川郡論田山城

論田山城(小見城)は、中地山城の東1km程度の位置にあります。この城については記録が無く、築城目的は不明です。ただ、その位置から中地山城の出城と考えられていて、常願寺川の対岸に古くからの立山信仰の中心的な役割を果たす芦峅寺があり、永録年間に越中…

【狂犬通信 Vol.140】越中國新川郡中地山城

中地山城は富山市南部、飛騨神岡から続く飛騨街道の脇街道「くれ往来」が常願寺川の流域に出る場所に築かれています。飛騨北部の有力国人である江馬氏が、永録年間に上杉謙信の指示で築城したと言われています。以降、一貫して上杉方であった江馬氏によって…

【狂犬通信 Vol.139】越中國新川郡猿倉城

猿倉城は飛騨街道が富山平野から山間部へ入る場所にある猿倉山山頂に築かれた城です。公園化と「風の城」(発電施設?)の建設により遺跡は破壊されてしまったため、どの様な城であったかは不明です。(全く調査しないで工事しちゃったらしいです)城から北側を…

【狂犬通信 Vol.138】ああ、樫ノ木集落

樫ノ木城のある樫ノ木集落は、現在は無人の廃村と成っています。集落としては無人でも、農地は使用されている集落も有りますが、この集落は完全に廃村の様です。国土地理院の地形図を見ると、集落には数軒の家屋が有りましたが、現在確認できるのは1軒のみで…

【狂犬通信 Vol.137】越中國新川郡樫ノ木城

半年以上止まっていた飲み仲間「綾瀬の狂犬」氏の訪城レポートが再開しました。毎日届くメールをこのまま溜め込むとストレスになりそうなので^^;富山の訪問記を連載します。 お城や歴史に興味ない方は、、、しばらくスルーでお願いしますm(_ _)m ・‥…━…‥・‥……