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【狂犬通信 Vol.141】越中國新川郡論田山城

論田山城(小見城)は、中地山城の東1km程度の位置にあります。
この城については記録が無く、築城目的は不明です。
ただ、その位置から中地山城の出城と考えられていて、常願寺川の対岸に古くからの立山信仰の中心的な役割を果たす芦峅寺があり、永録年間に越中支配を目指す神保氏と、対抗する椎名氏と支援する上杉氏の抗争の中で、椎名・上杉方の江馬氏が神保方の芦峅寺(関東では寺社勢力はそれほど強力では無いですが、多くの僧兵を抱える大寺院は国人衆並の力を持ちました)への備えとして築城したのでは無いかと考えられています。
現在、城は全く未整備で藪化が著しいですが、先人達が踏みいった後を辿って行くと遺構にたどり着けます。
この城の面白い所は東側の尾根には大規模化な堀切で遮断し、西側の緩斜面には切岸で守りを固める一方(南北は急斜面)、内部は低い土塁囲みの小曲輪を複数設けた構造です。
永久築城の外部防御線の内側に複数の陣城が存在する様な構造は他では見たことがないですな。
(土塁囲みの小曲輪は戦闘の役には立たないので、何かの区分けのためのものでしょうな)
何とも言えない不思議な城です。
未整備でも杉林に成ってれば、下草が生えないので藪化しないのですが、中途半端に杉林が伐採されてしまうと藪化が著しいので、困ったものです。(≧∇≦)