Now or Never

今でしょ!

大阪見物未遂

聖地巡礼の旅最終日。

宿で、風呂に浸かってから、美味しい卵、具沢山豚汁、そして佃煮・漬物たっぷりの地味なバイキングの朝食をいただいてから

のんびり10時頃に宿を出ました。

天気は生憎の雨。

前日午前中までの好天が嘘のよう。

これまで、カミさんと出かける度に、どっちが雨男か?雨女か?論争がありました。
今回よくわかったのは、2人が揃うと雨が降るってことでした。

向かうは大阪。

最終日は、聖地で貯めた鬱憤^^;を俗界で食べまくって晴らそうって決めていました。

ところがところが

この天気で街をぶらぶらする気が大きく削がれたのと、2人とも少々疲れていて早めに帰りたくなっていました。
カミさんは深夜バスからの古道・低山巡りが、私は食べ過ぎ・飲み過ぎが原因であります。

「ここだけは行ってみよう!」と意見が一致したのが通天閣でした。

南海高野線を新今宮駅で下車。

雨の中を彷徨いたくなかったので、スマホの地図とにらめっこでなるべくわかりやすいルートで通天閣を目指します。

ところがここで大間違いを犯しました。

先ずはJRの高架線に沿って東(天王寺駅方面)に向かうはずが、間違えて南海の高架線に沿って南(萩之茶屋方面)に向かって歩き出してしまいました。

そこで早々に目に付いたのが、 何かの建物に沿って続く路上生活の光景。
カミさん連れて歩くところじゃなさそうなので、ガードをくぐって高架線の反対側へ。
その昔の横浜寿町を思い出しました。

高架線沿いを進んでいくうちに、ようやく方角を間違えたことに気付きました。
一旦戻ろうかとも思いましたが、ちょっと東に進路をとれば「何とか線」(この時読めなかった)の今池駅があって、それに乗れば通天閣最寄りの恵美須町駅に行けることがわかりました。

地図で方角の目安を付けると、目に留まったアーケードを進みます。

萩之茶屋本通商店街

街中で鳥居マークを久しぶりに見ました。

若い人は意味わからないだろうなあ(笑)

ドヤ街近くの商店街。
とにかくディープです。

既に店を開けてる飲み屋がたくさんありましたが、こんな看板見ると怖くて入れないです。

アーケードが終わる付近。

高架線が見えてきて、地図では駅がこの辺りにあるはずです。

この通り、上に登るステップがありますが、駅を示す案内が何もありません。

何だ、これは?
廃線跡か?

乗り場を探してキョロキョロ辺りを見ていると、一人のおっちゃんが話しかけてきました。

お「あそこの店な、大将死んで閉まってるわ」

細かな言葉使いは忘れましたが、テレビでよく見るコテコテの大阪弁ではなかった。

赤「えっ、なになに?」

お「あの一番手前の店な、大将死んで閉まってるわ」

そんなに酔っぱらっているようには見えなかったし、声をかけられてちょっと楽しかったんだけど、雨に打たれて駅を早く見つけたかったんで

赤「一番手前ね。ありがとう」

話が通じる気がしなかったもんで、駅がどこかを訊くのはやめておきました。

お「いつも混んでたけどな。大将死んだんや」

赤「そっかそっか、ありがとうありがとう」

おっちゃんの指差す先、ガードの向こう側に行ってみれば、4軒の飲み屋が連なっていて、右の3軒は店を開けて飲兵衛たちが飲っていましたが、一番左の店は確かにシャッターが下りていましたよ。

駅の入口を探していたカミさんが戻ってきて「わからない」というので、先ほどのステップをとにかく登ってみれば、そこには確かにホームがあって、ちょうどこの時電車がやってきました。

阪堺(はんさかい)電軌阪堺線 今池駅

新今宮駅前からここに至るまでで、すっかり街に呑まれていた私は、乗車する時ちょっとだけ緊張しましたが、車内は極めて普通で、普通の乗務員、普通のお客さんでした(笑)

あっという間に、終点の恵比寿駅に到着

新世界への入口はすぐに見つかりました。

シャッターの閉まった商店街を利用した屋台がここから連なります。

もちろんシャッターを開けて商売している店もあります。

私が一番目を惹かれたのは、普通の婦人服店のこのキャッチ

裏は・・・

目的地の通天閣に行ってみれば

この天気なのに入場待ちの大行列が!

こんなホットなスポットだったんだと驚きましたが、昨年出来た滑り台が人気のようです。

www.tsutenkaku.co.jp

ビリケンさんに会うのは諦め、食欲もイマイチなので食い倒れるのもやめて、昼過ぎには帰ることにしました。

締めは駅弁

「牛めし 近江」

こうして聖地と俗界を訪れた旅は終わりました。

この旅で

脚の痛みで歩きたいところが歩けなかった。
食べ過ぎ飲み過ぎて胃腸が疲れた。

結果、翌日からのダイエットスタートのいいきっかけになりました。

あっ!

もちろん、弘法大師の大きな後押しがあったからこそだと思います。