記憶に残る場所-高座郡
7月下旬に氷川神社を訪れました。 toei-sportif.hatenablog.com が・・・実は相模国の一之宮である寒川神社で、未だお詣りをしたことがありません。 2年前に一度、未遂があったのですが、 toei-sportif.hatenablog.com 自転車から目を離すのを嫌って、参拝…
ポツポツパラパラと雨が降る中、目久尻川~小出川方面をポタってきました。 季節はそろそろ春も終わる頃・・・と言いたいところですが、夏のように暑くなったかと思えば、また冬の寒さに戻ったりして、いまの季節って何?って尋ねられても、何と答えていいの…
寒川神社に近く信心深い人が多いためか、昔から裕福な人が多いのか解りませんが、倉見集落の中は大量に石塔が立ってました。あまりに多くて、写真も撮るのも面倒に成り止めました。(日露戦争の戦死者の立派な墓標も沢山立ってます。高木清方が建立したお寺で…
倉見集落を南に抜けて、目久尻川を渡るところまで来ると、目久尻川を水道橋が渡っています。横須賀水道の様な上水道だと思ったのですが、水路に蓋がない。農業用の水路の様です。目久尻川を渡って水路の方を見ると、水路が雨樋状に成っていて、何やら石塔が3…
倉見の集落から目久尻川を挟んで南東側は小動集落です。小動集落の鎮守である小動神社の境内に、あまり見かけないタイプの庚申塔があります。ここの庚申塔は、青面金剛が彫られていますが、よく見ると左手に髪を掴んで女をぶら下げている恐ろしい姿です。ド…
倉見神社は旧倉見村の鎮守ですが、北条氏家臣で倉見村の領主だった山中孫八郎が勧進?したのが始まりとされています。特に変わったところの無い神社ですが、拝殿の裏にある朱塗りの主殿はとても立派です。それもそのはず、この主殿は相模一ノ宮寒川神社の旧…
高木氏陣屋は、海老名のコピー機製造会社工場から南に下り、新幹線のガードを過ぎたあたりの寒川町倉見に有りました。高木氏は三河の国人・水野氏(徳川家康の母方の実家)の家臣で、織田信長に従っていましたが、主家の水野氏が勘気を被り、粛清されたため、…
今朝のポタの記録です。 昨日同様、旧R246で寒川方面に向います。 行き掛けの駄賃。 相模大塚2号踏切 厚木基地専用線に注目。以前に訪れたのは7年前のことでした。 toei-sportif.hatenablog.com 当時は休止扱いで、架線やレールがしっかり残っていましたが…
再開したポタ、第三象限の番です。我が家から見て南西方面。 先ずは、東名高速道路の大和トンネルへ。 橋脚の拡張工事が終わってないぞ! /オリンピックの開催に合わせて完成するんじゃなかったんかい!\ とプンプンしながら、大和トンネルの上に駆けつけ…
これは、勤労感謝の日こと新嘗祭の朝のポタの記録です。 いよいよPEN Liteを携えての初ポタです。 実は、ポタに備えて中古のボディーキャップレンズを早速入手しました。 こんな薄いのが(右)がちゃんとレンズとして役割を果たすとは! これならば、ジャー…
八角広場に佇む線路。 1984年(昭和59年)まで、ここには国鉄相模線寒川支線(通称:西寒川支線)の西寒川駅がありました。 西寒川支線は、国鉄相模線の寒川駅から延びていた盲腸線です。 ここにあった西寒川駅は廃線当時は終着駅。以前は、さらにこの先に線…
泥除けが装着されたALPSに乗って、山音製輪所を後にします。 恩曽川の沿道を下流へ 恩曽川を渡る相模川右岸用水の掛桶 門沢橋で相模川を左岸に渡ります。 橋を渡ると南下します。 目の片隅に入った相模線の駅本屋に惹かれて急停車。 なるほど、大正15年開業…
コロナによる外出自粛で地方にお出かけすると罵声を浴びせられそうな昨今ですが、お城に行かないと死んじゃう病(\(--;))のため、彷徨いていても平気そうな準地元の藤沢の大庭城に行ってみました。この城は神奈川県中部では唯一明確に城郭遺跡と認識できる城…
寒川には以前から気になっていた場所がありました。それが、信玄芝原公園です。寒川神社の東側、産業道路を挟んだ農地の中にあり、前の農道からは社殿の屋根も見える至近距離です。名前の信玄は言わずと知れた武田信玄の事です。なんで、寒川に武田信玄の名…
大神塚古墳も秋葉山古墳、上浜田古墳と同様に周囲に他の古墳が点在する古墳群と成っていました。しかし、寒川の中心部のため開発で失われ、現存しているのは大神塚古墳の南側50mのE古墳のみと成っています。この古墳は、解説板には書かれていませんが、基部…
土曜日(1月18日)は夜半過ぎまで雨(山間部では雪)が降っていたので、河津に行くのを諦めて、近くの大神塚古墳に行ってみました。大神塚古墳は、海老名の秋葉山古墳、上浜田古墳と並んで、相武国造古墳とされています。大神塚古墳は、その中でも初代国造の墓…