Now or Never

今でしょ!

2021-12-30から1日間の記事一覧

【狂犬通信 Vol.130】本郷の道標

本郷集落を東西に貫通し、戸沢橋で相模川を渡る県道は、昔からの街道らしくちょっと歩いただけで道標が2つも有りました。1つは赤鬼会長も良くご存じの本郷ふれあい公園前の道標で不動明王付の立派な奴。もう1つは、公園前の道を戸沢橋方面に向かい、県道と合…

【狂犬通信 Vol.129】倉見集落南側の道標

寒川神社に近く信心深い人が多いためか、昔から裕福な人が多いのか解りませんが、倉見集落の中は大量に石塔が立ってました。あまりに多くて、写真も撮るのも面倒に成り止めました。(日露戦争の戦死者の立派な墓標も沢山立ってます。高木清方が建立したお寺で…

【狂犬通信 Vol.128】寒川掛樋

倉見集落を南に抜けて、目久尻川を渡るところまで来ると、目久尻川を水道橋が渡っています。横須賀水道の様な上水道だと思ったのですが、水路に蓋がない。農業用の水路の様です。目久尻川を渡って水路の方を見ると、水路が雨樋状に成っていて、何やら石塔が3…

【狂犬通信 Vol.127】小動神社の青面金剛

倉見の集落から目久尻川を挟んで南東側は小動集落です。小動集落の鎮守である小動神社の境内に、あまり見かけないタイプの庚申塔があります。ここの庚申塔は、青面金剛が彫られていますが、よく見ると左手に髪を掴んで女をぶら下げている恐ろしい姿です。ド…

【狂犬通信 Vol.126】相模國高座郡・倉見神社

倉見神社は旧倉見村の鎮守ですが、北条氏家臣で倉見村の領主だった山中孫八郎が勧進?したのが始まりとされています。特に変わったところの無い神社ですが、拝殿の裏にある朱塗りの主殿はとても立派です。それもそのはず、この主殿は相模一ノ宮寒川神社の旧…

【狂犬通信 Vol.125】相模國高座郡・高木氏陣屋

高木氏陣屋は、海老名のコピー機製造会社工場から南に下り、新幹線のガードを過ぎたあたりの寒川町倉見に有りました。高木氏は三河の国人・水野氏(徳川家康の母方の実家)の家臣で、織田信長に従っていましたが、主家の水野氏が勘気を被り、粛清されたため、…

【狂犬通信 Vol.124】神崎遺跡環壕見学会

綾瀬市の南西端にある国指定史跡・神崎遺跡の環壕見学会(最終)に行ってみました。神崎遺跡は弥生時代の環壕集落遺跡で、東海地方からの移住者が50年程度居住した集落とされています。発掘された環壕は埋め戻さずに普段は蓋をした状態で保存され、年に1度公開…

【狂犬通信 Vol.123】下総國葛飾郡・久喜陣屋

久喜陣屋はJR久喜駅の北西約1kmにある御陣山公園一帯にありました。この陣屋は、旗本・米津氏の陣屋でしたが、出羽國に加増を受けて大名に列したため、陣屋を出羽に移転したため、廃止と成りました。陣屋周辺は完全に市街化されて陣屋の痕跡は全く留めません…

【狂犬通信 Vol.122】下総國葛飾郡・足利政氏館

足利政氏館跡は、JR久喜駅の北西約1kmにある甘棠院という寺院がその場所です。足利政氏は、初代古河公方・足利成氏(享徳の大乱を引き起こし、関東における戦国時代のきっかけを作った人物)の嫡男で、古河公方を継承した人物です。公方と成った政氏でしたが、…

【狂犬通信 Vol.121】下総國葛飾郡・天神島城

天神島城は幸手駅の南東約1.5km、東西方向に流れる倉松川が南に向きを変える場所に築かれていました。この城は幸手城を築城する前に一色氏が居城としていた城で、幸手城に移転後に廃城と成っていたのを天正の終わりごろに再び居城として修築されたと伝えられ…

【狂犬通信 Vol.120】下総國葛飾郡・幸手城

幸手城は東武鉄道の幸手駅前に有ったとされついます。かつて城内に有ったとされる一色稲荷神社が駅前に残り、解説板が設置されています。室町期、幸手を支配したのは、古河公方の奉公衆である一色氏です。一色氏は足利将軍家の分家である吉良氏の分家であり…

【狂犬通信 Vol.119】下総國葛飾郡・栗橋城

栗橋城は、東武鉄道の南栗橋駅の東側2km、権現堂川を渡った、茨城県五霞町にあります。この辺りは、千葉、茨城、埼玉の県境が入り組んでいて、権現堂川の西側は埼玉県の栗橋、下流に5km位行くと、千葉県の関宿です。栗橋城は築城された経緯は不明ながら、享…