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【狂犬通信 Vol.140】越中國新川郡中地山城

中地山城は富山市南部、飛騨神岡から続く飛騨街道の脇街道「くれ往来」が常願寺川の流域に出る場所に築かれています。
飛騨北部の有力国人である江馬氏が、永録年間に上杉謙信の指示で築城したと言われています。
以降、一貫して上杉方であった江馬氏によって維持されましたが、上杉謙信の死去による混乱の中、追放されていた神保長住織田信長の支援を受けて、美濃衆、飛騨の三木氏の軍勢と共に越中に侵攻、江馬氏は城を放棄して飛騨に後退します。
(その後、江馬氏は三木氏に滅ぼされ、三木氏は小牧長久手合戦の時に豊太閤に敵対して、金森長近に滅ぼされます)
城は近年まで農地として利用されていて、城の麓に水力発電所が有るため(城の下を水路が通っている)、遺構の状態は良くないですが、越中南部は飛騨衆が支配していた事をしめす重要な城です。