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【狂犬通信 Vol.144】越中國砺波郡蓮沼城

蓮沼城は越中國砺波郡の守護代・遊佐氏の居城です。
越中國は江戸初期の段階で約50万石の大国ですが、有力な戦国大名が誕生せず、国内勢力同士の争いを国外の有力大名が支援するという構図が戦国末期まで続きます。
その理由の1つが越中國守護は、室町幕府三管令の畠山氏であるため、在京して越中國には不在であり、代官を勤める守護代越中國4郡に対して、射水郡婦負郡は神保氏、新川郡は椎名氏、砺波郡は遊佐氏と3人も居るため、他地域の様に守護代が1国を纏める強力な戦国大名に成る事はありませんでした。
守護代の3家のうち遊佐氏は一向一揆討伐のため越後から出陣して来た長尾能景が般若合戦で敗死してしてしまった為、砺波郡を維持する事が出来ず、越後へ敗走した長尾氏を頼って逃亡し、越中戦国史から退場しました。
蓮沼城はと加賀と越中を結ぶ街道が小矢部川を渡る地点に築かれています。
小矢部川の河口には越中国府があり、付近に川港がある要地であったため、遊佐氏が去った後も、戦国末期まで使用されました。
現在は付近は住宅地と成り、石碑が残るのみと成っています。