Now or Never

今でしょ!

【狂犬通信 Vol.116】内藤橋前の石塔

今回紹介してもらった石塔は、私のポタルート沿道にあります。
今朝、早速立ち寄ってみました。
綾瀬の狂犬氏と初コラボです。

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目久尻川が東名と交差する場所に掛かる内藤橋の前に謎の石塔が立っているのですが(道祖神庚申塔だと思ってましたが)、石塔の脇の建立者の名前を見ると、建立者が早川村だけでなく、小園村、望地村(現海老名市)、国分村(現海老名市)と広範囲に渡ります。
道祖神庚申塔は、村に災いが入らない為に魔除けとして建てるので、この石塔は違う様です。
建立者の名前からして、江戸時代末期~明治初期に建てられた石塔なのは間違いないですが、かなり立派な石塔なので、何の石塔なのか知りたいところです。
不動明王が上に乗って無いので、大山信仰とは関係無さそうですが…。
道路を挟んだお宅(橋と同じ名字で、一帯の大地主さん)に聞けば解ると思うのですが、伝が無いんだよな…。
綾瀬西高前の瀬端橋前にも庚申塔道祖神がありますが、この位置に庚申塔が有るのは少し不思議です。
庚申塔は本来は、集落の北側に、道祖神は集落の境界に建てるものだからです。
もちろん、これらの石塔は開発に伴い別の場所に有ったのを集めて置かれたのは間違いないのですが、それほど遠くから移動されたとは思えません。

そもそも、早川村は目久尻川沿いに形成された集落ですが、村の中心が有ったと思われる場所が2ヶ所あります。
1つは虚空蔵橋の周辺で、小学校の分校、早川地区の集会場、商店(今もセブンイレブンがありますね)が有りました。
もう一ヶ所が、武者寄橋周辺で、駐在所、商店(10年位前まで小さなスーパーが有りました。)があり、江戸時代には、旗本・石川氏の代官所も有ったと聞いています。
瀬端橋の道祖神を見ると、同じ早川村でも、武者寄橋周辺と虚空蔵橋周辺では、別の集落の扱いだったと思われます。
瀬端橋が二つの集落の境では無いかと、愚考するのですが、どうなんでしょうね…。

PS.綾瀬の吉岡にある環壕集落遺跡・神崎遺跡で、来週の土日に普段は公開していない環壕の一般公開が行われます。
この公開の後、環壕は埋め戻してしまうとの事で、環壕を見る最後のチャンスです。
環壕に興味があれば、行ってみると良いでしょう。
(って、環壕→空堀なんて、普通は興味無いですな)

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)