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【狂犬通信 Vol.135】小田原城総構・山王口

国道1号西湘BP小田原東IC入口のところにあるのが山王神社で、小田原城総構の外側に存在した山王曲輪の跡と言われています。 山王曲輪は豊太閤の小田原攻めの際に唯一上方勢に奪取された場所です。
包囲戦開始から3ヶ月が過ぎた6月、折からの雨で山王曲輪の土塁が崩れ、これを見た徳川勢が、手近に有った草木の枝等を堀に投げ込み足場を作ると、崩れた土塁から曲輪内に侵入し奪取したと伝わります。
しかし、山王曲輪は大阪冬の陣真田丸の様に城外に独立して築かれた橋頭堡的な曲輪のため、防御上は大きな痛手には成りませんでした。
では、小田原城総構の東端は何処かと言えば、山王神社から西に100m位行った国道沿いに小田原宿のモニュメントがあり、山王口(江戸見付)の解説が 書かれており、この位置が総構東端に成ります。。
小田原城大手町から東に約2km、豊太閤の20万の大軍に包囲されてもビクともしなかった小田原城がいかに巨大なのかを感じる場所でもあります。(小田原城迄歩いて戻る事を考えると、ため息が出るレベル)orz