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【狂犬通信 Vol.112】北条新三郎氏信の墓

NHKBSプレミアムの「英雄たちの選択」で、「三増峠の戦い」が取り上げられました。

www.nhk.jp

今回の記事は、この番組が放映された後に「三増峠の戦い」繋がりで書かれました。

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三増合戦の結果、どの様な影響が有ったのか、一目で解るものが、この北条新三郎氏信の墓(供養塔)です。
北条氏信は北条早雲の末子、北条幻庵の二男で、兄が病没したため、久野北条氏の家督を相続し、小机衆を統括する立場に有りました。
武田信玄駿河侵攻に端を発した争乱の中で、氏信は北条方の援軍として駿河原城に派遣されます。
原城はさった峠東側に築城された要衝で、駿府を占領する武田勢と甲斐本国との連絡線を遮断する位置にあり、武田勢は早急に奪取する必要が有りました。
三増合戦の大敗の結果、さった峠に展開していた北条勢は本国防衛の為に引き揚げと成り、手薄に成った蒲原城は武田勢の猛攻を受けて落城。
北条氏信は城を脱出しますが、城から2km程度の所で包囲され自刃しました。
父の北条幻庵にとって最悪だったのが、氏信の弟で箱根権現の別当職である長順(箱根権現の僧兵を率いていたと思われる)も兄と一緒に最期を迎えてしまった事でしょう。
幻庵の息子は3人で、長男は既に病没していますので、全ての息子を失った事に成ります。
幻庵の久野北条家は北条一門衆の中でも最大の領地を持つ家のため、北条一門から2人の養子を向かえますが、何れも早世してしまいます。(2人のうちの一人は上杉謙信の養子で、謙信の死後に上杉の家督を争った上杉三郎景虎です。通り名の三郎は久野北条氏の当主が代々名乗った名前です)
話が逸れましたが、1つ会戦が与えた影響としては、三増合戦はかなりの影響を与えた戦いであったと言えるでしょう。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)