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【狂犬通信 Vol.98】駿河國有渡郡・持舟城

持舟城は静岡市内の西の外れ東海道線用宗駅の裏山にあります。
この場所は駿府から焼津方面へ抜ける日本坂峠の登り口であり、城の北から東側に日本坂からの道が城に沿う様に続いていて、この城が駿府防衛のための重要な城で有った事が解ります。
城の主郭からは現在でも静岡市街が一望でき、駿府館の詰城である賤機山城もはっきりと見る事が出来ます。(駿府城は建物が邪魔で見えませんな)
この城は日本坂を守るだけでは無く、もう1つ重要な役目が有りました。
城名から推測されるとおり、水軍拠点の役割です。
現在は海岸から約1km程度の所に有りますが、戦国期には海岸線はもっと内陸に有ったと思われます。
湊が何処に有ったのかは現在では解りませんが、武田氏時代には武田水軍の本拠であったとされています。
天正7年(1579)、上杉謙信の跡目争いからの対立で、武田氏は小田原北条氏と交戦状態に入ります。
この隙を突いて徳川氏は大井川を渡り駿河西部に侵攻します。
手薄の武田勢は成す術も無く次々と緒城を落とされ、駿河深部に迄侵攻を許してしまいます。
この持舟城も落城し、城代の三浦義鏡、水軍大将の向井正重も討死。
徳川勢は城に火を放ち遠江に引き上げました。
3年後の天正10年の武田氏滅亡の際は、信濃衆が逃亡してしまい。(自分の本領がピンチですから)
残された城将の朝比奈氏秀は早々に抵抗を諦めて降伏した様です。(武田旧臣のうち、武田氏譜代の者は徹底的に誅伐された様ですが、駿河衆、信濃衆、上野衆等の外様は寛大に扱われた様ですな)
城跡は何年か前まで主郭に廃寺があり荒れ放題であった様ですが、現在は綺麗に整備されています。
しかし、整備されたために自由に城址を歩けなく成ってしまいました…。
まあ、辺りは蜜柑畑なので仕方ないのですが…。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)