続日本100城の1つ諏訪原城です。
この城は遠江と駿河の境を流れる大井川の西岸、金谷市街の西側の牧之原台地の縁に築かれています。
天正元年、武田勝頼は遠江侵攻の橋頭保として、この城を築城します。
しかし、天正3年に長篠合戦で大敗すると、徳川勢に奪取されてしまいます。
この城は東海道が大井川を渡る地点に築かれているため、これ以降、武田勢は遠江の味方に対する補給や連絡に支障をきたす様に成り、武田勝頼が遠江中部の高天神城に固執したため、武田氏滅亡の遠因に成った城でもあります。
また、徳川勢は武田勢が伊豆方面で北条勢との合戦のために守りが手薄に成ると、この城から駿河方面に侵攻して駿河領を荒らし回りました。
この方面に於いては、最重要な城だと思うのですが、武田方は、この城の奪還を行ったとする話は聞きません。
不思議ですな。
※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)