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今でしょ!

六浦道(朝比奈~金沢八景)を歩く

六浦道とは、鎌倉から朝比奈の切り通しを経由して六浦津(現在の金沢八景駅付近)までを結ぶ鎌倉時代の古道で、後年江戸時代になって鎌倉道あるいは金沢道と呼ばれるようになりました。

その後所々道筋が変わって、現在では県道204号金沢鎌倉線+環状4号線となり、一般に「金沢街道」と呼ばれています。

以前に朝比奈の切り通しを訪れた時は、この古道をトレースするという意識があまりなくて、鎌倉から朝比奈切り通しまで歩いてから、バスで金沢八景駅へと移動しました。

今回は、以前にバスで移動した朝比奈から金沢八景駅までを歩き、この時との合わせ技で六浦道を一気通貫します。

また、これまで歩いてきた金沢道と合わせると、鎌倉道の下道を鎌倉から保土ヶ谷の金沢横町まで歩いたことになります。

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神奈中船08系統のバスに乗って、朝比奈バス停で降車します。

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前回歩いた道をちょっとだけ遡って、横横橋梁近くの朝比奈切り通しの案内と、

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庚申塔群を再見してから、Uターンして金沢八景に向かって歩き出しました。

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古道は、先ほどバスに乗ってきた環4と交差して、坂を下っていきます。

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左手の山の中腹に常林寺が見え隠れ。

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古道の雰囲気をちょっとだけ残す旧道はあっという間に終わって、先ほどの環4に合流。

しばらくは、古道を拡張して整備された環4に沿って歩いていきます。

コンビニの駐車場で、杉浦太陽さんを(多分)乗せた車を発見!

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向かって左側に現れる鼻欠地蔵。

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崖の法面に彫られたお地蔵さんで、かつてはこの地の名勝の一つだったようです。

鼻が欠けていることからこの名で呼ばれたそうですが、今では全体の輪郭も薄れています。

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すぐ先の大道界隈でお祭りの山車に遭遇。

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この日は、行く先々で神輿を見たり、祭りの囃子が聞こえてきました。

雨で順延となっていた各地のお祭りが、久しぶりに好天に恵まれたこの日一斉に行われたものと思われます。

侍従川を渡る六浦二号橋の手前を、古道は右に通じていました。

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「古道は川を渡らない」の法則と思いきや、ほんの20~30m先、諏訪之橋で侍従川を渡ります。

おそらくこの場所の方が橋が架けやすかったのでしょう。

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しばらく進むと、県道305号金沢逗子線にぶつかる。

六浦道はここを左折する道筋で、進むと間もなく西六浦交差点でまたも環4に合流。

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またしても環4を東に進み、上行寺の手前を古道の道筋は右に分岐。

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上行寺の辺りは、六浦津と言われたかつての船着き場だったとのこと。

まあ随分と派手に埋め立てちゃったんですねえ~

このお寺の東側で、以前マンション建設の折に上行寺東遺跡が発掘されました。

貴重なやぐらや遺構が発見されて、歴史学者や市民団体によって保存が訴えられたが、横浜市は保存に尻込みし、結局マンション建設が強行され遺跡は破壊されてしまいました。

お慰みで一部が「レプリカ」で残されたそうですが、誰がそんなもの見に行くかい!

環4から右手に分岐した古道は、すぐ先、京急のガード下で合流。

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六浦道は現在の京急のガードを潜ると左に曲がり、現在のR16に沿って進みます。

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左手のちょっとした高台に、泥牛庵(臨済宗円覚寺派の禅寺)があります。

泥亀とか泥牛とか、さすがは元干潟の地。

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このガードの先に、六浦藩主米倉侯の陣屋があったとのこと。

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間もなく、工事中の金沢八景駅に到着。

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これにて六浦道の散策終了。

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これにて、鎌倉古道下道、鎌倉から保土ヶ谷まで繋がりました。

ここからは自由行動です(笑)