Now or Never

今でしょ!

鎌倉古道下道(金沢横町→岸根公園)

今さらですが、鎌倉街道とは鎌倉と日本の諸国を結ぶ道の総称です。

鎌倉時代御家人が鎌倉と諸国との往来で使った道を、後年になって鎌倉街道と呼称するようになりました。

現在でも鎌倉街道の名で呼ばれる幹線道路は多々あって混同されそうなので、ここでは私が訪ねる古道跡を「鎌倉古道」と呼ぶことにします。

鎌倉古道の中で「下道」と呼ばれるのは、鎌倉から朝比奈切り通しで六浦(現金沢八景)へ出て、そこから東京湾沿いに北上して下総国府から常陸へと通じる道を指します。※他にも諸説あり

これまでの朝比奈切り通しや金沢道の散策を通じて、下道を鎌倉から保土ヶ谷の金沢横町まで歩いたことになります。

せっかくなので、この下道を、今度は金沢横町から北に向かって歩いてみようと思います。

とはいえ、一挙に常陸までトレースするつもりはありません。

しばらくは近場から歩いてみて、面白ければ遠くへと足を延ばし、飽きたら次のお題に進もうと思います。

なお、散策ルートは芳賀善次郎著『旧鎌倉街道・探索の旅 下道編』を参考にしています。

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また、よくわからないところはネットで数多提供されている情報を参考にさせていただきます。

毎度のことながら、ネットで情報提供されている方々には感謝でありますm(_ _)m

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で、これは7月19日の日曜日。(既に2週間以上経ってしまったのだ)

朝からとても暑い日でした。

旭4系統の相鉄バスに乗って、出発地点に程近い保土ヶ谷橋バス停で降車。

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今井川に架かる保土ヶ谷橋を渡って、R1の保土ヶ谷1丁目本陣跡前交差点から旧東海道を神奈川方面に向かって進みます。

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金沢道散策の出発地点とした金沢横町にやって来ました。

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さあ、ここから鎌倉古道の下道を北上します。

高札所跡の立て札が立つ地点で、旧東海道から分かれて、旧東海道の西側をしばらく並走します。

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この道の保土ヶ谷天王町間は神社仏閣ストリート。

遍照寺、大蓮寺、天徳院、見光寺、そしてちょっと離れて神明社

次々と両側にお寺が出現します。

旧相州道と交わる神明社前交差点でお寺がパタと終わって、ここから雰囲気がガラッと変わります。

「古東海道」の案内。

一本東側を走る旧東海道(現在の環一)に対して、江戸初期までの東海道だったことを示します。

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庚申塔

辻の道標代わりだったのでしょうか。

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横浜ビジネスパークが望めます。

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帷子川、今井川の川筋は今と異なり、以前はここを帷子川が流れて古町橋がかかっていたことを示す案内板。

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2018年にはなくなる予定の相鉄線天王町1号踏切を渡り、

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帷子川に架かる現在の古町橋を渡って、

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R16の宮田二丁目交差点。

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右手側、今ではR16がでかい顔をしていますが、その昔は上の写真で正面に入っていく八王子往還がメインストリートでした。

ちなみにこの道を進むと旧東海道との分岐点、芝生の追分(→過去記事)があり、その先一帯には有名な松原商店街があります。

ちなみに、ここまで歩いてきた道が旧東海道以前の古東海道だとすると、この場所が江戸初期までの追分だったことになります。

で本題、鎌倉古道はこの先どこを通じていたのでしょう?

それを示す文献や遺跡・遺構・遺物等がないせいか、本やネットを探しても、明示されたルート情報が見つかりませんでした。

道の様子を呈してはいませんが、迅速測図から想定される位置にある延命地蔵尊を通じる石段を上ります。

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急傾斜面に作られた墓地や民家の間を迷走。

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坂をどんどんと上って行き、ようやく、尾根道に当たる裁判所通りに出て迷走終了。

裁判所通りを北西方面、岡沢町に向かいますが、ここが古道の岐路。

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見過ごしそうな何の変哲もない分かれ道ですが、この地点は、峰岡町、鎌谷町、岡沢町の町境。

古道は行政区域の境界線になっていることが多いのは、これまでもたくさん見てきました。

この細い道を歩いて行くと、やがて三ツ沢公園にぶつかります。

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三ツ沢公園によって道はぷっつりと切れているように見えますが、園内陸上競技場横の第2駐車場の形状でなんとな~く道筋がわかります。

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三ツ沢公園に取り込まれた古道は、公園西側の出入口から復活、公園に沿って道筋が現れます。

公園のはずれにある横浜市民病院の横を通過してしばし。

立派なトラス橋が出現!

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第三京浜を跨ぐ岡沢橋です。

この細い道に似つかわしくないほどの立派な橋が架けられたのは、古道に対するリスペクト?(じゃあないだろな)

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R1とr13(横浜生田線)が交わる三ツ沢上町交差点では、すっかりかつての様相は消し去られていますが、、、

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交差点を渡った先からまたも復活。

古道はr13から右へ分岐します。

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ここから先は片倉町。

中丸小学校が古道を遮り、ちょっとだけ道筋が変わっています。

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片倉台団地によって、またも消失。。。

団地を抜けて復活。。。

かつての片倉町と神大寺町の町境を古道は進みます。

横浜市内でも市街地に程近い場所を歩いているのですが、古道を歩くと度々こうした風景に遭遇します。

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道道に合流すると、すぐ先が岸根公園です。

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私が中学生の頃まではアメリカの接収地でした。

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こんな興味深い記事を見つけました↓

hamarepo.com

さて、一度休んだら、あまりの暑さにリスタートできず(;^_^A

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この日は菊名まで歩く予定でしたが、岸根公園を抜けて、、、

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あの暑い中、お昼に中華をいただき、市営バス129系統の又口橋バス停から帰宅。

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途切れ途切れの道筋と、史跡や古道の証となるような小道具も少なく、インパクトがイマイチ?

ここのところの猛暑の中、熱中症に怯えながら歩くモチベーションもなく、岸根から先はしばらく封印かな・・・