しばらく、自宅の近場ばかりを歩いていました。
R32を購入した中古車店が、家から歩いて行くのに程よい距離にあり、納車に向けての調整や相談、それに冷やかし?を目的に地元散策コースに組み入れていました。
しかし、いよいよ車も納車されたので、用もないのに仕事の邪魔をしに、ちょくちょく訪れるわけにもいきません^^;
そんなわけで、日曜日の日中、2ヶ月ぶりに都筑を歩きに行ってきました。
今回は、例の「都筑区水と緑の散策マップ」のIコース。
「川和・佐江戸の歴史を訪ね、鶴見川を歩くコース」です。(長いぜ・・)
前2回の川和歩きは、好奇心をくすぐられる場所や物に出会えずに、正直なところ「あまり面白くないなあ~」との印象でした。
それも、しばらく都筑区の散策を離れていた理由の一つであったと思います。
ところが、、、
今回の散策コースを調べていくと、川和は自分にとってかなり興味深い土地であることを認識しました。
ここはかつての都筑郡の中心地。
これは前回も書きましたが、1878年(明治11年)に発足した都筑郡は、現在の緑区、青葉区、都筑区の全域と旭区、保土ヶ谷区、港北区、川崎市麻生区の一部を含んだ広大な行政区画で、郡役所が設置された川和は政治経済の中心地として栄えました。(全部ウィキペディアの受け売りです)
また、川和は、私の自宅近辺を貫いていた鎌倉古道中道とかつての絹の道日野往還(現在の横浜上麻生線)の交差地点であったこと。
前々回歩いた川和宿跡界隈は、鎌倉古道中道の道筋でした。
鎌倉古道は昨年来のマイブームであり、ましてや我が家の近くと線上で繋がっていたとなれば、これは興味津々です。
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前置きが長くなりました。
駅前は何もないと言って過言ではありません。
その昔横浜鉄道(現JR横浜線)の敷設に反対した結果、後に鉄道沿線として発展して緑区の行政の中心となった中山と対照的に、発展から取り残された場所。。。
が、長年ここで暮らして来た地元の方々は、これで良かったと思ってらっしゃるのかも知れません。
横浜上麻生道路を南(東神奈川方面)に向かってすぐ、古道然とした細い道に分岐します。
この界隈が、旧都筑郡の中心地だったとのことですが、先の川和宿跡界隈と同様、それを偲ばせる形跡が見つかりません。
横浜上麻生道路に戻ります。
正面に、郡庁舎を担ったこともある妙蓮寺があるこの辺りは、警察、郵便局、銀行が軒を連ねて、確かに往年の郡の中心地っぽい雰囲気をちょっとだけ醸し出しています。
さらに南に進むと、貝の坂の旧道への分岐点がありました。
整備されて階段となっていますが、かつてはここの急坂を上って佐江戸へ向かったそうです。
旧道は、新道開通のために掘削した切り通しで途切れます。
峠には茶屋もあったとありますが、この付近でしょうか?
旧道沿いの慈恩寺は、今では切り通しの崖上に取り残されています。(切り通し対面より撮影)
反対側に渡るため、一旦切り通しを下って、貝の坂交差点で横浜上麻生道路を横断してからまた上ります。
途中に、土府根薬師堂があります。
急な階段を上っていって丘の上を東に向かって進み、佐江戸杉山神社へ。
ルートの流れから、杉山神社へは裏からお邪魔しました。
本来の参道に向かって石段を降りて行くと、すぐ隣には無量寺の山門があります。
次に向かったのは、佐江戸交差点の北側に位置する東漸寺。
鴨池大橋をバックに六地蔵。
受験生の皆さま、お参りに是非どうぞ。
ここからは、干からびた水路に沿って緑産業道路に向かって真っ直ぐ南へ伸びる道を、淡々と進みます。
緑産業道路を横断したら、ルートはここから江川せせらぎ緑道を上流に向かうのですが、トイレと休憩でコンビニ(サークルK)に立ち寄りたくて、遠回りですが一旦下流に向かいます。
この時、すぐ傍に日産のディーラーが見えたので、一瞬
「やっちゃえ、日産で」
とも思いましたが、ディーラーでトイレを借りるのもちょっと恥ずかしいと思い直しました。
以前に一度歩いた場所ですが、工場や産業道路に囲まれたこの場所で、カワセミやホタルが見れるとは驚きです。
緑産業道路を挟んで、コンビニの向かい、二木ゴルフがあった場所は新しく釣具店がオープンしたばかり。
コンビニで用を済ませてからは、今来た緑道を引き返して、
どんどん水が流れて来る方向を目指し、、、
ここを流れる水を作り出している都筑水再生センターの前で中原街道に出ます。
落合橋を渡って、、、
ここからはルートから外れて、中原街道からかつての長津田への道筋を通って中山へ。
中山駅前をゴールにして、遅い昼食をいただいてから帰宅しました。
さあ、都筑区を巡るコースも残すはあと2つとなりました。
残るコースを歩いたら、この冬はまた鎌倉を歩いてみようと思っています。