六浦道を歩いて金沢八景までやって来ました。
ここからは自由行動です。
瀬戸神社前を通って、
以前は海峡を渡るベイブリッジだった瀬戸橋を渡ります。
中世まで、ここから金沢文庫方面には広大な瀬戸入海が広がっていて、瀬戸と洲崎の間のこの場所は海峡だったなんて、この景色からどうすれば想像できるのでしょう?
瀬戸橋~洲崎~野島の位置関係を把握するのに、広重の浮世絵を借用 m(_ _)m
洲崎から野島に向かいます。
これは野島に架かる3橋のうちの一つ、帰帆橋付近からのショット。
野島橋を渡って野島に渡ります。
ところで、横浜市に本社を構えるデジタル家電専門店の「ノジマ」を私もよく利用します。
このノジマ、創設時には「野島電気工業社」を名乗っていたそうですが、ここの「野島」とは関係なく、創業者の苗字に由来するそうです。
ああ、またも役に立たないことに時間を使ってしまった。
気を取り直して、、、
野島に渡ると、まっすぐ住宅街を進みます。
住宅街を抜けるとグラウンドがあり、その先に緑に覆われた小高い山が現れます。
この緑の山を除いた平らな場所は、ほとんどが人工の埋立地。
この山は、どてっぱらに大きなトンネルが掘られていて、戦時中に戦闘機を格納するための掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる施設が作られたとのこと。
山の周りの周遊路を行けば、この掩体壕の入口が見れたようですが、この時は存在を知らず。
夏島方面は、この掩体壕と追浜飛行場の間を戦闘機を移動させるために、かつては埋め立てられて地続きとなっていたそうです。
横浜市が公開しているこちらの昭和25年当時の地図では、トンネルや地続きとなっていた当時の様子が覗えます。
滅茶苦茶暑かったのですが、ここまで来たからには、標高57mの野島山の山頂を目指します。
汗をダラダラ流しながら、山頂に辿りつきました。
戦時中はB29を打ち落とすために高射砲が設置されたという場所に、今は展望台があります。
所々樹木が邪魔するも、いい景観でーす!
野島山から下りてくると、伊藤博文の別荘跡を見てから、
野島公園の縁を歩いて、、、
海沿いに野島橋まで戻ってきました。
この後称名寺まで足を伸ばす予定でしたが、あまりの暑さに観念して、シーサイドラインの野島公園駅に吸い込まれました。
子供たちを連れて潮干狩りに来た時以来の乗車です。
スタート地点の八景に戻るのもつまらないので、反対側の終点新杉田までシーサイドラインの車窓を楽しんで、、、
駅ビル内の「とよ」で昼食を食べてから帰宅しました。
「とよ」はこの日で2度目の来店。
ラーメンと半チャーハンのセットをいただきましたが、期待通り旨かった~
すっかりこの大衆食堂のファンになってしまったのだ。
そして金沢八景。
これまで、特別興味ある場所ではありませんでしたが、かつての景勝を知ったもんだから、自然の景観を人の手で壊してしまった事例の代表として自分の心に刻まれました。
今でも原風景が残っている日本各所の土地土地。
金沢八景の変わりっぷりを反面教師として、是非その景観を大切に後年まで残すことを考えなければいけないと思います。