報国寺近くの釜めし屋でお腹を満たすと、金沢街道(県道204号・旧六浦道)を朝比奈に向かって進みます。
この道が鎌倉街道の下道(しもつみち)と言われています。
途中「紅谷」という和菓子屋の工場兼直営店があり、「クルミッ子」というお菓子をお土産にするつもりでしたが、ああ無情、日曜日はお休みでした。。。orz
「紅谷」のすぐ先で、希少車発見!
コラードだあ~ しかもVR6!!!
ここは、現在の金沢街道から旧道が分岐する地点。
「十二所」バス停から至近です。
案内板に従って旧道を進みます。
滑川に支流の大刀洗川が合流する場所に架かる泉橋。
ここからは大刀洗川に沿って道が延びていきます。
道は未舗装となり、アドレナリンも上がっていきます。
道沿いの小川の雰囲気が良くて写真を撮りましたが、後から確認すると、この付近に源頼朝への謀反の罪で千葉上総介広常を暗殺した梶原景時が、その血塗られた太刀を洗ったとされる水が流れる導管があった模様。
気付かなかった・・・
この先、朝比奈切り通しと十二所果樹園との分岐点となります。
ここが朝比奈切り通しの入口。
三郎滝が流れています。
和田義盛の三男で、巴御前を母にもつ豪勇の朝比奈三郎義秀が一夜でこの切り通しを切り開いたとの伝説から、その名が付いたといいます。
ここからは、ぬかるんだ斜面を登ります。
こんなに天気は良いし、毎日湿度の低い日が続いているのに、路面はびしょびしょ。
そして、ここが大切通し。
この古道のハイライトです!
この先、熊野神社への分岐道が現れます。
「へー、こんな山の中に神社があるんだ・・・」とスルーしようとした時に、横浜市側から登って来た方が、
「熊野神社行ってみましたか?」
「えっ、行ってない?」
「ここは初めてですか?」
「ほんの数分で行けますから行ってみたらいかがですか?」
「私もこれから行くところなんで、一緒に行ってみましょう」
マシンガントークでお勧めになるので、もう行かない訳にはいかなくなりました。
向かう道々も、
「もう少し日が落ちてくると、木々の間から日が差し込んで、皆さん、カメラで狙っているようですよ」
「杉の下枝を随分払ったんですよ。だから日が差し込むようになったんです」
「この辺りもやりたいなあ」
「何でこんな山の中に神社をつくったんでしょうね。いろいろ調べたんですがわかりませんでした」
「本殿の裏から海に浮かぶ船が見えるんですよ。皆さん、本殿の屋根を入れて写真を撮られるようです」
そうこうしているうちに、神社に到着。
ツアーガイド(笑)のおじ様に勧められるままに、本殿裏手の山道を登りますと、、、
本当だ!
六浦方面でしょうか? 海が見えた!
そうこうしているうちに、ツアーガイドのおじ様は、サクサクと本殿裏手の道を歩いていって、あっという間にいなくなりました。
えっ?! 夢だったんでしょうか・・・
帰ってから調べると、この本殿裏の山道は、十二所果樹園から三郎滝へぐるっと繋がっていたようです。
さて、切り通しの分岐点へと戻って先へと進みます。
次の見所、小切通しが現れて、
横横を潜ると、
もうそこは横浜市側の入口です。
環四に出たところにバス停があり、運よく1分と待つことなく金沢八景駅行きのバスがやって来ました。
終点の金沢八景駅前で降車して、
京急に乗って帰りました。
冒頭にも書きましたが、この道はかつての鎌倉街道下道、そして金沢街道の旧道にあたります。
六浦の港から鎌倉へと塩を運ぶルートにも使われたので「塩の道」とも呼ばれていたそうです。
昭和31年に現在の金沢街道が開通するまでは、この道が朝比奈と鎌倉を結ぶメインルートだった。
と言うことは、それまではこの道で事が足りていたということで、、、
江戸時代の話じゃありません。
昭和の中期、戦後の話ですよ・・・
鎌倉が、こんなに面白いところとは思いませんでした。
好奇心を刺激しまくる土地ですねえ~
スズメバチが活動を始めるまでの間に、たくさん藪こぎをしておくつもりです。