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【狂犬通信 Vol.101】駿河國益津郡・石脇城

石脇城は東名高速日本坂PAの直ぐ南東側にあります。
駿河における北条早雲(伊勢盛時)の城と言えば、続日本100名城にも選ばれた興国寺城ですが、最初に与えられたのはこの石脇城の様です。
解説板に依れば、文明年間(応仁の乱の最中)に今川義忠によって与えられたとされていますが、文明7年に今川義忠は遠州塩買坂で討死しており、それによって発生した今川家中のお家騒動を鎮める為に室町幕府の命で駿河に派遣されたとする最近の研究結果と辻褄が合いません。(当時の文献から北条早雲が、9代将軍の足利義尚の申次衆で、文明年間の始め頃は在京していたのは確実な様です。
更に付け加えると、北条早雲の父は8代将軍・足利義政の申次衆で、今川義忠の取次役だった様です。
その縁で応仁の乱で上京した今川義忠と早雲の姉妹が婚姻関係を結んだと言うことの様です。駿河守護と将軍の側近の娘なら十分に釣り合うので、早雲の姉妹の北川殿は正室で間違い無さそうです。)
この城を築城したのは、今川義忠の死後だと思われます。
城は現在、大日堂なる無人の寺院と成っていて保存状態良くありません。
花沢城や当目砦とは至近距離にありますが、規模が小さく高さも無いこの城は戦国末期の戦闘で役に立ちそうも無いので、北条早雲が興国寺城に移った後は廃城に成ったと考えられています。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)