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【狂犬通信 Vol.35】相模國足柄郡・岩原城

原城大雄山線岩原駅の西側の丘陵に築かれています。
戦国初期に相模國西部を支配していた大森氏の城で、大森氏中興の大森寄栖庵氏頼の隠居所として知られる城です。
大森氏は駿河駿東郡一帯の領主で、葛山氏、御宿氏(大阪の陣で徳川家康に「浪人衆の中で武者らしのは、後藤又兵衛と御宿勘兵衛くらいだ」と言わせた御宿勘兵衛は、大森氏の一族です)等は、大森氏の分家です。
上杉禅宗の乱の時に、鎌倉を脱出した鎌倉公方足利持氏駿河に逃れ、大森氏に保護されます。
大森氏は駿河守護・今川氏の支援を受け、持氏を奉じて相模に侵攻し、禅宗方で相模國西部を領地とする波田野氏と交戦し、これを打ち破ります。
乱は一時的に成功したかに見えましたが、室町幕府の意を受けた今川勢の攻撃により追い詰められた上杉禅宗や、禅宗方の鎌倉公方家の足利一門の者も自刃して果て、乱は失敗に終りました。
大森氏はその功績により、波田野一族から奪った相模國西部の領有を認められ、駿河から相模にかけての一帯を領する相模守護代の三浦氏と並ぶ勢力に成りました。
城は昭和40年代までは農地化されていたとは言え、城の全体像が掴める程度には残っていた様です。
しかし、神奈川の城の悲しい運命が近くをこの城にもおよび、宅地造成の為に破壊されてしまいました。
現在は最西端の西郭のみが旧状を留めるのみです…。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)