成人の日、山音製輪所からの帰り道の散策の記録です。
TOEI号のオーバーホールに関する打合せが終わり、自転車を預けて、徒歩&電車で帰路に着きます。
工房は厚木市飯山の南端、緑ヶ丘寄りの縁にあり、小田急の本厚木駅までは徒歩45分。
スマホの地図でルートを確認したところ、駅までは全くルートの紛れがなく、工場が沿道に立ち並ぶバス通りを淡々と東に向かいます。
大山が大きく見えますね!
厚木市街に出ましたが、、、
何か物足りない・・・
そこで予定を変更、相模川を渡って川向うのJR厚木駅から相模線で帰ることに。
相模川を渡る小田急線を眺めるために、往路で渡った「あゆみ橋」のすぐ下流側に架かる、いきものがかりで有名?な飾りっ気のない「相模大橋」を渡っていきます。
小田急線の橋梁上を、
次から次へと多種の電車が渡っていくので、、
全く飽きませんでした^^;
不思議なのが、「あゆみ橋」と「相模大橋」がこんなに隣接しているのに、、、
(往路に「あゆみ橋」から撮影した「相模大橋」)
遠く上流と下流に目を凝らしても他に橋が見当たらない。
どのような経緯で、大河に架かる貴重な橋がすぐ近くに2つ架けられたのか、帰宅後に調べてみました。
(いつものようにウィキペディアにお世話になります)
1908年 現在「あゆみ橋」が架かっている場所に「相模橋」が開通
1955年 現在の位置に「相模大橋」が開通。「相模橋」は廃橋に。
1966年 地域住民の要望で、沈下橋である「相模小橋」(通称「もぐり橋」)が「相模橋」のあった位置に開通。
1996年 「相模小橋」の上流側すぐ隣りに「あゆみ橋」が開通。「相模小橋」は廃橋。
経緯を調べても、理由はわかりませんでした。
もっと上流側、下流側それぞれの住民から不満の声は上がらなかったのでしょうか?
さて、橋を渡り終えると厚木駅はすぐそこ。
厚木駅は厚木市ではなく海老名市にあることは、神奈川県民にとっては割と有名なトリビアです。
年間4,000人近くの人が「本」厚木駅と間違えて降りてしまうと、昨年の海老名市都市計画審議会で報告されています。
また、ウィキペディアには、以前に「本厚木ではなく偽厚木と説明しなければならないため駅名変更してほしい」という地元住民の意見があったことを紹介しています。
これは駅南側の厚木第二踏切から撮った写真です。
廃線路の上に設置された遮断機!
いきなりボルテージMAXです(笑)
早速、小田急共用改札とJR専用改札を通ってホームに上がると、今の踏切側を望みます。
レールはホームの下へ・・・
もともとは、列車交換が可能な2面2線の対向式ホームだったのが、1線を撤去して単式ホームになったもの。
向かい側には、もともと上り線(茅ヶ崎方面行き)用だったホームと構内踏切の残骸が残っています。
廃止ホームの向こうには、相鉄線の留置線があります。
新旧7000系に・・・
連結して留置されているこの白い車輌は何だ?!
最初に目に入った時は、旧6000系のアルミ試作車かと思いました^^;
そうこうするうちに205系500番台が入線。
実は私、相模線は初乗車です。
1984年 西寒川支線廃線
1991年 全線電化
1998年 米タンの運行終了
近年まで見所たっぷり!
ちょっとだけ足を延ばせば、いつでも来れたのに。。。
一駅だけ乗車して、海老名で相鉄線に乗り換えて帰宅。
ららぽーと効果なのか、、、
相鉄、小田急との長~い連絡通路は想像以上の歩行者数でした。
ちなみに、リニア中央新幹線が開業すると、この相模線が現橋本駅で接続路線となるんですね。
単線のままでパンクしないんでしょうか?(笑)
気が付けば、海老名はどこに行くにも便利な街になりつつあります。
駅の周りには未だに田んぼが残っていますが、こんな風景もそのうち見られなくなることでしょう。