Now or Never

今でしょ!

オーディオ本

マルチアンプに手を染めていくために、これに関する情報を吸収したくて、ネットで書籍・雑誌を探してみたのですが、全くというほどないんですね。

仕方なく、古本を探して入手しましたので、ここで紹介してみたいと思います。

季刊ステレオサウンド別冊『マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ』

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本書の冒頭を飾る「マルチスピーカー マルチアンプのすすめ」がとても興味深い。

これまでおぼろげに理解していたマルチアンプシステムについて、その構成・仕組み、発展の過程、魅力、そして具体的な構成例についてわかりやすく記述されています。

でも、この記事で何より印象に残ったのは、「あなたはマルチアンプに向くか向かないか」と表題の付けられた一節です。
単なるマルチアンプ称賛記事とは一線を画する、否、むしろ読者に対する挑発ともとれる内容に驚きました。

以下に、要点をお伝えします。

「このひどく手間とお金のかかる方式を、そう楽天的に無条件に誰にでもおすすめする気持ちになれないのだ。少なくとも、以下の設問のすべてにイエスと答えて頂ける方以外には」

として、以降に下記4つの質問を通じて、マルチアンプシステムでオーディオを楽しむために必要な資質を説いています。

「あなたは、音質のわずかな向上にも手間と費用を惜しまないタイプか」

「あなたは音を記憶できるか。音質の良否の判断に自信を持っているか。時間を置いて鳴った二つの音のちがいを、適格に区別できるか」

「思いがけない小遣いが入った。あなたはそれで、演奏会の切符を買うか、レコード店に入るか、それともオーディオの改良にそれを使うか」

「あなたの中に神経質と楽天家が同居しているか。あるときは音のどんな細かな変化をも聴き分け調整する神経の細かさと冷静な判断力、またあるときは少しくらいの歪みなど気にしない大胆さと、そのままでも音楽に聞き惚れる熱っぽさが同居しているか」

そして最後に、

「この項の半分は冗談、そしてあとの半分は、せめて自分でもそうなりたいというような願望をまじえての馬鹿話だから、あんまり本気で受けとって頂かない方がありがたい」

と言いつつ、

「が、ともかくマルチアンプを理想的に仕上げるためには、少なくともメカニズムまたは音だけへの興味一辺倒ではうまくないし、常にくよくよ思い悩むタイプの人でも困るし、音を聴き分ける前に理論や数値で先入観を与えて耳の純真な判断力を失ってしまう人もダメだ」
「いつでも、止まるところなしにどこかいじっていないと気の済まない人も困るし、めんどうくさいと動かずに聴く一方の人でもダメ・・・」
「という具合に、硬軟自在の使い分けのできる人であって、はじめてマルチアンプ/マルチスピーカーの自在な調整が可能になる」

と、この章を締めくくっています。

いやー、これは仕切りが高い!
特に、私にとって耳が痛いのは2番目の質問で、音の聞き比べについては過去にこんな記事を書いたほどです。

電源タップで音は変わるか?(2010年3月)

次は、ご存じ長岡鉄男さんの『マイ・ステレオ作戦』という著書です。

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この中でマルチアンプのことを以下の通り語っています。

「ウーファー、スコーカー、ツイーターそれぞれ専用のアンプで鳴らせば音がよいと簡単に考えている人が多いが、本当にそうだろうか。音がよい悪いといっても、絶対的な評価というものは無意味である。一万円のアンプよりも二十万円のアンプのほうが音がいいにきまっている。千円のスピーカーよりは五十万円のスピーカーのほうが音がいい。これもあたりまえの話だ。こういうものは比較とは言わない」

「総経費が同じならマルチアンプのほうが音が悪い。マルチアンプが真価を発揮するのはワンアンプ方式によるグレードアップが限界に達した点からだ。当然コストはべらぼうにはね上がる。二十万円、三十万円のシステムならワンアンプ方式のほうがよい」

どちらの記事も説得力があり、憧れから生半可な気持ちで手を出そうとしている私に警鐘を鳴らしているかのようです。
「君は、本当にいい音楽をいい音で聴きたいのか? それとも玩具を弄って遊びたいだけなのか?」と喉元に七首を突き付けられているかのよう。

特に瀬川さんの記事には大いに感銘を受けて、最近の著作も読んでみたいとネットで検索したところ、昭和56年に僅か46歳で亡くなっていたことを知りました。
面白そうな評論家に巡り合ったと喜んだのも束の間、残念です。

最後に出原真澄著『マルチアンプシステム』

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よく拝見するブログで目にして購入してみたものの、今の私に読みこなせる本ではありませんでした。
自身であれこれ経験を積んでから、改めて目を通してみるつもりです。