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【狂犬通信 Vol.32】甲斐國巨摩郡・須澤城

須澤城は扇子平山城から南西に5km程度の山中にあります。
一帯は果樹園と成っているため、車道が通じているため簡単に訪れる事ができます。
須澤城は足利尊氏、直義兄弟が争った観応の擾乱時に足利尊氏の執事であった高師直の猶子である高師冬が対立する直義派の上杉氏に攻められ、この城に逃げ込んで自刃(討死?)したと記録されている城です。

城は普応寺(山上の無人の寺院)近辺にあったとされますが、室町初期の城のため、遺構は全く認められません。
ただ、普応寺や近辺に室町時代の物と推定される宝筐印塔が残ります…って、みんなの倒れてバラバラに成ってます…。
集落の無い山中に室町時代の宝筐印塔が多数認められる事から、この場所に須澤城があったのは間違いなさそうです。
特に遺構もなく、果樹園以外は何もない事から訪れる人も少ない様で、城の解説板も朽ちかけています。
ちょっと思ったのですが、観応の擾乱で、勝利した尊氏側の中心である高氏は歴史から姿を消してしまいますが、敗者の直義側の中心である上杉氏は分家も含めて明治まで消える事はありませんでした。
何か裏があるのでしょうか…。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)