これは先週末の散策の記録です。
前の週に軽く辿ってみた武相国境の北側ルートを歩いてみました。
神奈中バス横04(間01)系統の「卸センター前」から散策開始。
このバス停は、「長谷戸」→「上瀬谷通信隊入口」→「上瀬谷通信隊前」と名称変更を辿ってきましたが、2015年の上瀬谷通信施設および土地全体の日本返還にともなって、昨年末に現名称に変更されました。
ここからR16を東に向かって100m強、北側から坂を下ってきた車道がR16に交わる所が、かつての武相国境、現在の旭区〜瀬谷区の区界になります。
この場所から南下して、前回のスタート地点だった三ツ境駅を目指します。
いきなり道がなくなります。
返還された土地は今現在「天領」かと思いますが、未だフェンスが残って立ち入り禁止となっています。
国境は一部この囲障区域の中を進みますが、もちろんフェンスに沿って進みます。
KAMISEYA GYMNASIUM
体育館の他、すっかり荒れたテニスコートも見られました。
異国の地でのガス抜き対策ですね。
ずっとフェンスの外側を歩いていたのですが、この荒れた農地を囲むように、さらに外側にも簡易なフェンスがあり、その外側に向けて立て看板が建っていることに気付きました。
この瞬間、密かに身を潜めていた残留米兵によって機銃掃射されるんじゃないかと背中を冷たいものが流れ、慌ててこの場から退去(;^_^A
ここまで歩いてきた土地は、接収地でありながら両国の緩衝地として「できれば入らないでね❤️」って扱いだったようです。(本当か?)
ここからは農道を進みます。
横浜市瀬谷区のサイトによれば、ここは「瀬谷の原」と呼ばれていて、、、
「小田原北条氏3代氏康が16才で、関東管領上杉軍と戦ったといわれている中丸山古戦場跡があり、また新田義貞が鎌倉の北条軍を攻めるため陣揃えをした場所」
とのことですが、、、
ここが本当に武相国境なんでしょうか?
尾根道でもなし、川の流路でもなし、古道の風情全くなし、、、
そして、割と唐突に国境は瀬谷市民の森に入ります。
おっと、森に入った途端にいきなり古道の雰囲気が出てきましたよ!
いい感じです。
武相国境なので「野境いみち(のさかいみち)」と呼ばれています。
森を横断する「なかみち」に出て来ました。
「なかみち」は現在の野境道路に瀬谷高校入口交差点で突き当たります。
国境は右手に曲がって野境道路を進みます。
この先は、慣れ親しんだ場所なので、写真もなし^^;
三ツ境駅北口前を通って、現在の厚木街道に入って相鉄線を跨いだ先が、前回のスタート地点だった三ツ境橋交差点ですが、、、
厚木街道合流直前、左に分岐する旧厚木街道(相州道)にぶらっと向かいました。
結局、相鉄線の希望ヶ丘駅まで歩いて、電車で帰宅。
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上瀬谷通信施設跡の今後の動向が気になります。
大きなイベントの計画があるらしいのですが、、、
→はまれぽ『返還された上瀬谷通信施設で2026年に「花博」が開催されるって本当?』
懸念しているのは、イベントなんかよりも、今後どのように恒久的な土地利用を行うか。
周辺の農地を維持し、施設跡は中を流れる相沢川、大門川の水辺を整備し、植林を行い、大規模な自然公園に変身させると公約する横浜市長候補が現れたら、間違いなく清き一票を入れさせていただきますよ!