何故かこれまであまり目を向けていなかった、地元旭区を貫通している鎌倉古道中道に最近今更ながら注目しています。
鶴ヶ峰~二俣川には名将畠山重忠にまつわる史跡がたくさんあります。
秩父の居館(菅谷館)から鎌倉に向かう途中、ここで謀略による戦に敗れて終焉の地となったことは、幼少の頃から当たり前のように見聞きしていました。
現在と違って、当時鎌倉と地方とを結ぶ道はそう何通りもあるわけではなく、ここが中道と呼ばれる当時の数少ない主要道の一つの経路上にあることを知ったのは、ほんの数年前のこと。
この地で亡くなったのは万に一つの偶然ってわけでもなかったんだと。
そして、菅谷館のあった秩父の現嵐山町と鎌倉を結ぶのは中道ではなく上道で、重忠はおそらく町田の成瀬辺りから間道を通って鶴ヶ峰にやってきたと推測されていることを知ったのは、この数ヶ月のことです。
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そんなんで、旭区周辺の中道跡を最近よく歩くのですが、そこで見つけたのが(偶然ではなくネットで^^;)大池公園へのアプローチに建つこの道標です。
2015年12月撮影
鎌倉古道中道は、ここから戸塚カントリーを突っ切って東戸塚方面へ延びていましたが、大山道はここからどこを通っていたのか?
例によって、迅速測図や昭和初期の地図を見てルートを推測します。
しかし、地図で大池の先を辿ってみても、浮かび上がってくるはずの一筋のルートが見当たりません。
それではとGoogle先生に尋ねてみると、ここに立つ案内板の情報があちこちで発信されていて、、、
「大池、長昌寺、 現在の東希望ヶ丘小学校を経て、大山の阿不利(あふり・雨降)神社に通ずる」とあります。
しかし、迅速測図を見てもこれらを結ぶ一本の街道らしきものは見当たりません。
もしかしたら、ここから先が大山道と呼ばれていたのではなく、「(旧)厚木街道すなわち大山道へ抜けるための間道はこちらです」という意味の道標なのかも知れません。
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前置きが長くなりました。
本題です。
先の日曜日、ルートはよくわからないけど、とりあえずぶらりと歩いてみようかと、道標の建つ大池公園にやって来ました。
しかしこの時、「ここから厚木街道に抜けて、そこから帰るのもつまんないなあ~」と突然気が変わる。
あまり土地勘のない西の方角に向かって歩いてみることに。
そうは言っても、道筋も目的地も決めないままに徘徊すると収拾がつかなくなるので、相鉄いずみの線に沿って緑園都市~弥生台までのルートとしました。
大池公園内の大池と中池を左に見ながら進み、青少年野外活動広場(何故か餅つきをやっていた)の前を通って、第二駐車場側の戸塚カントリークラブ沿いの出入口から公園を出ます。
住宅街を進んで、市道中田さちが丘線を渡ると、相鉄線のトンネル区間の上に整備された遊歩道に出ます。
沿道のお宅で綺麗に咲く蝋梅を発見!
遊歩道を下って行くと緑園都市駅に。
この一帯の元々の地名「子易」と名づけていれば、もっと親近感が湧く街になったんじゃないかなあ~
とは言っても「緑園都市」の名前のおかげでシャレオツなイメージが定着したのも確か。
先日も、テレビドラマを見ていた配偶者が「これ緑園都市だあ~」と無邪気にはしゃいでいました^^;
でも「都市」って・・・
何だか「田園都市線」からいただき!みたいな・・・・・
緑園都市駅はすり鉢の底にあり、四方が坂に囲まれています。
大雨が降ったら駅が水没するんじゃなかろうか?
再び線路に沿って登って行って見下ろせば、、、
なるほど!
線路に隣接して大きな遊水地がありました。
尾根道から坂を下っていくと新橋町。
r401瀬谷柏尾線を渡って、またも坂を登って行って、、、
坂を下ると弥生台駅にとうちゃこ。
ここまで意外や大した距離ではありませんでしたが、ジェットコースターのような上り下りで少々疲れました^^;
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今回の散策で、二俣川から弥生台にかけての土地勘がつきました。
次回は、いくつかスポットを決めて歩いてみるつもりです。