名将畠山重忠の足跡を辿り横浜「北の森」を歩く、先の土曜日の散策後編です。
これが後半戦のルート。
『旧鎌倉街道 探索の旅 中道編』(芳賀善次郎著)によれば、導水路沿いの尾根道からこの谷を下りてくるルートは、1980年執筆当時既に確認出来なくなっていたようです。
自分は、この想定ルートのやや北側を走る道で谷まで下りて来ました。
梅田谷戸と三保市民の森のバス停の間、三保街道の旧道の三叉路からスタートです。
ここまで歩いて来た森を背にして、、、
霧が丘へと向かいます。
ここから、西へバス通りを横断し、坂を登って行きます。
JSATの施設を右に見ながら、、、
森の中へと入って行きます。
これがまたいい雰囲気の小径です。
向かって左は谷を挟んで三保市民の森、さらにその先に若葉台。
右は東洋英和女学院の敷地で、その先は新治市民の森。
ここも広大な北の森の中。
鎌倉古道の上道から中道へと通じていた間道と思われるルートを進んでいます。
そして、森から出て来たのはこの地点。
今まですぐ横を歩いてきた東洋英和女学院の正門前。
この辺りは、何故か学び舎銀座となっていて、小学校から大学まで学校がひしめきあっています。
ここからは、反時計回りに半周して向きを変え、三保市民の森の西端を南下して川井宿に出て、勝手知ったる絹の道(R16の先祖)で帰ってきました。
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帰り道、今宿のオリンピックで友人と落ち合って酒とつまみを買い、帰って庭呑みです。
この日、家呑みを止めて早や3週間強が過ぎていました。
以前にも書きましたが、友人との庭呑みは、ホームパーティ(笑)なのでセーフというルールです(;^_^A
飲み始めたのは確か15:30頃。
ところが、気が付いたのは深夜の23:30過ぎ。
自宅のソファーにひっくり返った状態で目が覚めました。
この時、家族3人は、録画した映画をソファの前で仲良く体育座りして鑑賞中でした。。。(すまねえ。。。)
記憶にあるのは、飲み始めてから僅か1時間くらいか?
500ml×2缶のサワーを空けて、寒いからと買ってきた4合入りの日本酒を封を開け、最初の一口、二口を飲んだところまで・・・
またも自宅で気を失った。
習慣飲酒を止めてから、ますますアルコールへの耐性が低下しているようです。
こんなにも酒に弱い体質だったかと、今頃自分の本当の姿を知って驚いています。