これは日曜日の日中、鶴見区を歩いた散策の記録です。
この日は、午前中は雲が湧いたり切れたりと明暗繰り返す空模様でした。
家を出たのは確か11時頃。
この時、空の東側半面を雲が覆っていて、天気予報を覆して雪でも降りだすんじゃないかとちょっとだけ心配していました。
散策ルートは、横浜市鶴見区のホームページで提供している「歴史と緑の散歩道」で、自分にとって馴染み深いけれど意外や歩いた機会の少ない一帯であります。
以前は、酒好きで碁敵の友人が住んでいたため、月に一度は、仕事帰りに訪れては、明け方近くまで酒飲んで語り合って碁を打っていました。
こんな馴染み深かった駅も、最後に訪れてから15年近く経ちます。
あの頃とは電車の行き先が、、、
すっかり様変わりしています。
駅前の狭い通りは以前のまま。
菊名神社の手前を右に曲がって、旧坂を登って尾根道へ。
しばらくは眺めの良い尾根道を進みます。
谷戸へ下りてしばらく行くと、ルートの出発点、みその公園の横溝屋敷が現れます。
長屋門。
江戸時代に建てられたという立派な主屋。
昭和の遺構への郷愁は強いのに、何故かそれ以前の古の建造物には惹かれることがあまりないのですが、このお屋敷は別格です。
数々の農具が展示されています。
古い屋敷の中に飾られたお雛様に怖さを感じるのは、昔見た映画とかコミックとかの影響でしょうか?
(雛人形に限らず、女の子の人形って怖くないですか?)
ここからはマップに従って、獅子ヶ谷を進みます。
獅子ヶ谷せせらぎの小径。
小川の上に石を配置して歩けるようにしてありますが、ちょっと足元が悪いような。。。
向こうから人が来てすれ違いとなったらちょっと厳しいかと思いましたが、、、
安心してください!
他に通行人は皆無ですよ^^;
小径を進むと、獅子ヶ谷市民の森の西谷広場に突き当たります。
こちらも人影は皆無でしたが、噴水は休まずに水を噴き上げていました。
公園裏手を登って行きます。
こうしてみると、鶴見区も尾根と谷の連続で、横浜なんだと実感します。
そしてせっかく登ったのに、またも勾配を下りていくと、二ツ池の目の前に出てきます。
二ツ池は獅子ヶ谷と駒岡の境にあります。
一つは獅子ヶ谷池、もう一つは駒岡池と呼ばれ、両者は僅か数メートルの境で分かれて隣接していますが、それぞれ獅子ヶ谷と駒岡と別行政区に属しています。(要は町境で分かれている)
江戸時代に灌漑用に作られた人工池で、もともとは一つの池だったのを、獅子ヶ谷と駒岡と水を平等に分配するために二つに分断したそうです。
何やら隣町同士の抗争の歴史みたいですね。
ここ数年間で整備が進められているそうです。
獅子ヶ谷池は葦がぼうぼうと生えていますが、未着手なんでしょうか。
駒岡池は整備が進んでいるようです。
釣りを楽しんでいる人も数名。
ここからは、またも急坂を登っていき、今度は三ッ池公園へ。
このブログでも、桜の季節に何度か登場しています。
市内でも屈指の大きな公園ですが、この日のルートは縁をかすめるだけ。
三ッ池公園を出ると、今度は梶山を進みます。
梶山橋で環二を跨ぎます。
環二を跨いだ先は、古道同士が交わり、四辻の地蔵あり。
四辻の先から来た道を振り返れば、このルートが古から使われてきた尾根道であり、環二が後年開削された切通しであることが、通りの佇まいでわかります。
梶山地区のこの尾根道を進んでいくと、やがて前方及び左右がストンと平野部に落ちている尾根のどん突きになります。
東芝のグラウンドと「かぶと塚ふれあいの樹林」の間の坂道を降りて行きます。
途中に浅間神社あり。
さらに下ると兜塚の石碑。
兜塚とは何だろうと案内マップを見れば、、、
>江戸城を築いた太田道灌が、ある時加瀬山(現川崎市幸区、夢見ヶ崎公園)に支城を築こうとして一夜を過ごした時、白鷲が飛んできて道灌の兜をくわえて駒岡方面に飛び去り、丘の上に落とす夢を見た。道灌はこれを不吉なこととして加瀬山に城を築くのをあきらめ、この地を「夢見ヶ崎」と名付けるとともに、白鷲が兜を落とした丘に自身の兜を埋めたので、この地が兜塚といわれるようになった。(一部抜粋・追記あり)
なるほど、そうだったか。
この逸話は、以前に夢見ヶ崎を訪れた時に知りました。
坂を下りきってr140(川崎町田線)に出たところが、ルートの終点です。
ここから、江ヶ崎に向かうために鶴見川に出ます。
ついに撤去された水管橋の橋桁が。
これもいづれなくなるでしょう。
さて、江ヶ崎に来たわけは、aizさんのブログで紹介されたお蕎麦屋さんを訪れるためでした。
冷たいお蕎麦を味わいたいところをグッと我慢して、屋号の鴨南ばんをいただきました。
美味しかった!
次の機会には、十割そばと二八そばの合もりを是非いただこうと思います。
店を出たら、JR新川崎駅へ。
かつての鶴見操車場も、跡地活用が進んでいます。
以前北加瀬に住んでいた頃は、操車場廃止後間もなくで広大な空き地が広がっていましたが、今では新川崎駅前にマンションが立ち並んでいます。
しかし、駅から離れた小倉陸橋や江ヶ崎陸橋付近は相変わらず空き地も多く、あれから25年以上も経っていることを考えると、随分と遅い歩みに感じられます。
新川崎駅からは湘南新宿ラインで横浜に向かい、帰路に着きました。
自分にゆかりある場所を紡ぐような散策になりました。