1973年に廃止された貨物線を辿るポタです。
先週も訪れたのですが、写真がイマイチで昨日再訪。
再訪したところで、結局イマイチのままですが、現在の状況を簡単にご紹介します。
この廃線、もともとは臨海部を埋め立てて展開しつつあった浅野セメント、日本鋼管、旭硝子等の物資運搬を図った貨物線で、京浜工業地帯と東海道本線を結ぶ重要なルートでしたが、その後南武線の開通(鶴見操車場への尻手短絡線の開通)や鶴見~浜川崎間の貨物専用線敷設構想により、1973年に廃止されました。
以前は、川崎近辺を電車(湘南電車、スカ線、京浜東北線)に乗って通る度に、
「まだレールが残っている・・・」
「県道を跨ぐ鉄橋が残っている・・・」
「築堤が残っている・・・」
と、目で追って見ていましたが、いつの間にかそんなこと気にもならなくなり、今では通勤電車の中でスマホを弄ってるか寝てるか・・・
そう言えば、あの線の跡は今どうなっているんだろうと思い立ち、訪れてみました。
先週末と昨朝撮った写真が混在していますが、ご容赦くださいm(_ _)m
今回訪れたのは、この↓地図で川崎駅から弧を描いて浜川崎方面(地図の下側)に延びる貨物線跡なので、ご参考まで。(93-1「寛政町」)
川崎駅から分岐する貨物支線は、県道140号(通称「市電通り」)とのオーバークロス地点で、旅客線と離合していました。
これは、アンダークロスする県道脇に残る、貨物支線の橋脚跡です。
川崎駅側(街路灯すぐ左の欠きとり箇所)
浜川崎駅側(左手の欠きとり箇所)
県道を渡り、左に弧を描いて八丁畷に向かう場所の現状ですが、既に廃線跡にはいろいろな建築物が立ち並んでいます。
しかし、弧を描いた土地利用が当時を偲ばせます。
やんわり曲がった高層住宅を反対側から見ると、、、
かつての路線跡は、コンビニを突き抜けると、この住宅群に変貌し、、、
その先は、自転車置き場となり、、、
ここで京浜急行をオーバークロス。
緑でモコモコしていますが、よく見ればレンガ積みの橋脚だったことが見てとれます。
どういう事情で、これが残っているかはわかりません。
撤去しても有効活用しづらい一画で、土地の売却先が見つからなかったのかな?
京急を越えると、その先はまたしても左に曲がっていく駐輪場、、、
その先は駐車場、、、
右手に南武線の支線が近づいてきます。
そしてR15をオーバクロスして、南武線の支線と離合していました。
のっぽのガントリーがポツンと残されています。
この通り、雰囲気はたっぷりと残しているものの、いつの間にやら八丁畷傍の橋脚跡以外は何の痕跡もなくなっていました。
o孕o三 o孕o三 o孕o三 o孕o三 o孕o三 o孕o三 o孕o三
この後ポタは、いつものように横浜に向かい、高島線の宝町踏切で老兵と遭遇。
そして、新旧電機の重連回送。
このところ、ポタの目的がすっかり身近な廃線跡巡りになってしまった。
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【10/4の走行記録】 (Bianchi)
距離 53.37 km
カロリー 1,781 C
時間 2:25:45
移動時間 2:23:10
経過時間 2:57:32
平均速度 22.0 kph
平均移動速度 22.4 kph
最高速度 46.7 kph
標高差 203 m
高度下降 219 m
最低標高 30 m
最低気温 23.0 °C
最高気温 26.0 °C
◆2014年の積算距離◆ 2360.04km