Now or Never

今でしょ!

富山新港界隈

対岸に渡るもう一つの方法。

※Googleマップを借用 m(_ _)m

青い曲線が富山県営渡船の航路です。
ここより北側に聳え立つ新湊大橋を渡ります。

自転車でほんの1~2分のここ

橋脚に向かって伸びる屋根付き通路の先に、自転車ごと乗れるエレベーターが設置されています。

橋の中は乗車禁止。
自転車は押して進みます。

窓は全て網入りなので、意外や景観はイマイチ

対岸へ渡るとエレベーターを降りてきました。

さあ、ここからどこへ行くかというと、先ほど乗り損なった渡船で越ノ潟へ戻ります。
こちらに渡ったのは、渡船に乗ってみたかっただけでした(笑)

堀岡側の渡船場へ

先ほど私たちの目の前で発船した船は、既に越ノ潟に戻っていて、結局こちら側で船を待つことになりました。

船を待つこと十数分。

いよいよ渡船に自転車ごと乗り込みます。

乗船するとすぐに出発!

ちょっとした船旅気分を味わえますが

僅か5分で、先ほど乗り損なった越ノ潟に到着です。
ちなみに料金は無料。

この越ノ潟~堀岡間。
今でこそこの通り富山新港の開口部として300m近い幅がありますが、

掘り込みの富山新港が築港されるまでここは「放生津潟」と呼ばれる潟湖で、海とを隔てた堤防状の砂州があり、そこを富山地方鉄道の射水線が通っていました。

昭和10年当時の地図  ※「今昔マップ on the web」を借用 m(_ _)m

堀岡駅の先の終点は新富山駅で、さらに富山市内線へと乗り入れて富山駅前の電停まで直通電車が走っていたそうです。

一方、越ノ潟方面は、、、

昭和10年当時の地図  ※「今昔マップ on the web」を借用 m(_ _)m

内川を渡る橋梁の手前に新湊東口駅があり、ここが終点でした。

現在の万葉線は、高岡と越ノ潟を結んでいます。
しかし、この当時は高岡と新湊(現「牧田組本社 六渡寺」駅)を結ぶ高岡軌道線と、新湊東口と新富山までを結ぶ富山地方鉄道射水線があって、新湊と新湊東口の間は鉄道が敷かれていませんでした。

昭和10年当時の地図  ※「今昔マップ on the web」を借用 m(_ _)m

前回記事に写真を掲載した庄川を渡る鉄橋(赤い矢印)と内川を渡る鉄橋(青い矢印)は、当時いずれもなかったってことですね

昨日の記事を書いている時点ではこの偶然に気付かなかった

その後、射水線は新伏木口駅(現「牧田組本社 六渡寺」駅)まで延伸して、晴れて高岡~富山間の直通運転が実現しました。

しかし、昭和41年に富山新港が建設されて、射水線の放生津潟の入口部分を渡る鉄橋を含めた新港東口駅(当時建設予定地)以西が廃止となり、射水線は分断される。

昭和45年当時の地図  ※「今昔マップ on the web」を借用 m(_ _)m

その後、射水線は乗客数減による赤字経営が続き、昭和55年に全線廃止となりました。

長くなりましたが、これでもかなり端折って書いています。
付近には、以前は旅客営業も行っていたJR貨物の新湊線もあって、この地域の鉄道の発展と衰退の経緯は興味が尽きません。

鉄道に歴史ありですね

(続く)