Now or Never

今でしょ!

中原街道旧道をちょっとだけ歩く(前篇)

昨日の朝、起きて外へ出てみると、地面がしんなりして雨が軽く降った形跡があるものの、曇天で雨粒は落ちていませんでした。
自転車にライト、GPS、ボトルを取り付けて表に出してから、家にとって返し着替えて外に出てみると、大粒の雨が・・・[E:rain]
ポタを諦め、自転車を家に入れ、ウォーキング時のウェアに着替えていざ外に出ると、あーれま、既に雨があがっているじゃああーりませんか[E:wobbly]
でもまた、そのうち雨が降り出すだろうと、釣行用に買ったレインウェアをまとってウォーキングに繰り出したのですが、結局その後雨が降ることはなく、やがて青空さえ顔を出しました。

気分は、、、「責任者、出て来ーい[E:annoy]」

いやいや、きっとこの日はポタに出ると何か危険な目に遭ったんだ、何か大きな力が働いたんだ、ってことにして自分を納得させました。

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さて、この日は最近よく訪れる矢指方面を歩いたのですが、一つちっちゃなテーマあり。
中原街道の旧道の道筋を確かめてみようと。

※ここから先は個人的日記、しかも長文になりそうですのでご注意ください(んっ? いつもといっしょ??)

R16と交差する都岡交差点から聖マリ病院入口交差点までのほんの2km足らずの区間は、今でこそ片側2車線の立派な道路がドーンと真っ直ぐ伸びていますが、かつては相当趣の異なる田舎道でした。
私のとっても曖昧な記憶を遡りますと、、、

その1(1965年前後)
小学校低学年の頃の記憶と思います。
都岡から南下してしばらく行くと、細い木橋(桜橋)がありました。
この当時においても、えらく古めかしい時代がかった橋だった印象が残っています。
右に森、左に田畑を見ながら舗装されていない道を進んで行くと、やがて左側の田んぼと小川を挟んだ向かいの小高い丘の中腹に、市電だったかバスだったかが置かれているのが目につきました。
あれは幼稚園だったのでしょうか?
更に進むと住宅街に行き当たりました。
おそらく、中原街道を外れて金が谷~笹野台を経て三ツ境付近に行き当たったのだと思います。

その2(1973年)
中学2年、伊豆にサイクリングに行った際、中原街道を通って茅ヶ崎まで行きました。
仲間と地図を睨んでルートを決めたのですが、当時「中原街道」って通称を知らず、確か「(主要道)丸子茅ヶ崎線」と呼んでいた記憶があります。
この時の記憶では、桜橋の先、既に勝手を知っていた三ツ境方面への道を進み、途中右へ分岐していく細い坂道が中原街道であることを見過ごして、慌てて引き返しました。
「えっ、これが?」と思うような、寂しい主要道でした。

その3(1975~1985年頃)
保土ヶ谷バイパスが開通して、桜橋付近がすっかり変貌を遂げました。
中原街道の整備も進められ、道筋も変わった筈ですが、どういう訳か、私には矢指のトンネルが出来るまでの道筋がどうしても思い出せません。
大学時代には車に乗るようになり、狭い旧道を何度か走った記憶があるのですが、下川井インターから先、どこを通って矢指配水池脇の旧道に繋がっていたのか・・・

以上、断片的な記憶を辿って、昔の舗装もされていなかった脇道みたいな頃の道筋、更に整備が進むも矢指のトンネルが出来る前の道筋を、歩いて確かめてみようと思ったわけです。

※長過ぎる・・・ ので、次回に続く