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今でしょ!

【狂犬通信 Vol.21】甲斐國山梨郡・熊城

熊城は武田氏の居城である躑躅ヶ崎館の詰城である要害山城のすぐ南側の尾根に築かれていて、要害山城の出城とされる城です。
以前、要害山城を訪れた際にたどり着けなかった城です。
今回は城に向かう目印の土管を見逃さずに城の築かれた尾根に無事に取り付けました。

しかし…。

登山道からの分岐から城までの500mは急峻な地形で進むのに難儀しました…。(帰りを考えると…。)
尾根を進んでいくと、深さが4m以上ある巨大な堀切が…。
それを越えると、更にもう一本。
下を見ると、竪堀の先に畝状竪堀になってる…。
はっきり言って、信玄誕生の城として、続日本100名城に選出されている要害山城より熊城の方が強烈な印象です。

しかし、要害山城は外出自粛要請の中でも沢山の人が来てましたが、熊城の方は誰にも会いませんでした。(結構、危険な場所ではありますが)
あまり、物好きはいない様です。

実戦向けに抜き身の刀身と言った感じの熊城ですが、城の来歴については不明な様です。
城の規模から、戦国後期の遺跡である事は間違いないのですが、北側の尾根に信濃の山城の特徴である二重堀切が存在している事から、信濃侵攻後の武田氏と天正壬牛乱後の徳川氏とどちらの築城か気になるところです。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)