母さん、僕のあのデジカメ、どこに行ったんでせうね
ええ、秋、横谷渓入口から横谷観音へゆくみちで谷底に落としたあのデジカメですよ
母さん、あれは好きなデジカメでしたよ
僕はあの時、ずいぶんくやしかった
ポケットからスルッと落ちたデジカメは、急斜面をコロコロと転がり、何度か木株に当りながらも落下を続け、すぐに視界から消えていった。
まるでスローモーションのように、転がっていく様が、今も瞼に焼き付いている。
この僅か数十秒前、一緒に横谷渓遊歩道の急勾配を登っていた妻と、足を止めて、汗を拭きお茶を飲みながら、
「こんなところで何か落としたら、取り返しがつかないね」
と会話したばかりだった。
ここから坂の頂上まではあと僅かだったのも、ほんの数分後に分かったこと。
横谷観音に着いて、コース外に物を落した時の連絡先が書いていないかと、案内板を見ると、
思い余って、斜面を降りていってみようかと一瞬血迷ったが、身体の方が大事と踏み止まった。
地元の交番に遺失物届を出した。
営林署の職員の方が見つけて警察に届けてくれれば、無事に生還する可能性もないわけでもない。
ただ、お巡りさん曰く、その可能性は残念ながらほぼないとのことである。