Now or Never

今でしょ!

【狂犬通信 Vol.114】九七式中戦車(チハ)

富士宮少年戦車学校の跡地にある若獅子神社に奉納されている九七式中戦車です。
サイパン島から回収された2台のうちの1台です。(もう1台は靖国神社にある)
車体の前面と左側面の至るところに貫通弾の痕があり、砲塔が斜め左を向いている事から、この戦車は最期迄交戦して破壊された事が解ります。

欧米の戦車(特に独ソ)と比べると酷く見劣りしますが、九七式(昭和12年正式採用)という事を考えると、この戦車が採用された同時期の欧米の戦車と比べて、それほど見劣りはしません。
九七式中戦車が太平洋戦争後期に成っても主力戦車として第一線で使用されていた事が問題です。
それは即ち、速やかに性能向上した次期モデルを速やかに開発して、十分な数を用意して前線に送り出せない日本という国の技術力や工業生産力の低さに起因しています。
最近、若い世代に「太平洋戦争時の日本は凄い国だったんだ!!」って、不思議な考えが広がっている様に感じますが、日本が絶対国防圏と定めたサイパン(当時は日本領)で、破壊された戦車が九七式の古いモデルであるという事実を知っているのか聞いてみたいものです。
松本零士の漫画の中の「こんなブリキの戦車を作った奴は、戦車兵に土下座して謝るべきだ!!」って科白が思い出されます。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)

ラズパイ、サブシステムに投入決定!

昨年3月に父が他界しました。
父が生前使っていた部屋が、現在の私の仕事部屋となっています。

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この部屋を使うことになって、これまで別室で運用してきたオーディオのサブシステムをこの部屋に移動してきました。

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使っていて一つ不満だったのが、レコードやCDだと盤の操作がせわしなくて面倒なこと。

基本的に、仕事や趣味の作業のBGMに使っているので、こんな部屋でこそSpotifyのお気に入りプレイリストをかけっ放しで再生したい。

そこでっ
サブシステムへのラズパイ投入が決定しました!

メインシステムでは、昨年1月に導入済み。

toei-sportif.hatenablog.com

toei-sportif.hatenablog.com

同じ構成では面白くないので、前回のメインシステムでは外付けのDACを使いましたが、今回はI2Sで接続するDACモジュールを投入することにしました。

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選んだのは「Newlife Newdesing」という和歌山のガレージビルダーが販売している製品です。

www.newlife-lab.jp

搭載されているDAC-ICは、ESS Technology, Inc.のES9038Q2M

www.gec-tokyo.co.jp

まあ、細かいことはよくわかりませんが^^;
ネットの情報を頼りに組んでみます。

先ずは肝心のラズパイを入手しなければ・・・

【狂犬通信 Vol.113】駿河國富士郡・蒲原城

原城は蒲原宿の北側の山に築かれています。
以前に来たときには綺麗に整備されていたのですが、現在は荒れ放題になっていて驚きました。
一旦整備したあと、放置プレイをしているのか、コロナのため放置しているのか不明ですが…。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)

【狂犬通信 Vol.112】北条新三郎氏信の墓

NHKBSプレミアムの「英雄たちの選択」で、「三増峠の戦い」が取り上げられました。

www.nhk.jp

今回の記事は、この番組が放映された後に「三増峠の戦い」繋がりで書かれました。

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三増合戦の結果、どの様な影響が有ったのか、一目で解るものが、この北条新三郎氏信の墓(供養塔)です。
北条氏信は北条早雲の末子、北条幻庵の二男で、兄が病没したため、久野北条氏の家督を相続し、小机衆を統括する立場に有りました。
武田信玄駿河侵攻に端を発した争乱の中で、氏信は北条方の援軍として駿河原城に派遣されます。
原城はさった峠東側に築城された要衝で、駿府を占領する武田勢と甲斐本国との連絡線を遮断する位置にあり、武田勢は早急に奪取する必要が有りました。
三増合戦の大敗の結果、さった峠に展開していた北条勢は本国防衛の為に引き揚げと成り、手薄に成った蒲原城は武田勢の猛攻を受けて落城。
北条氏信は城を脱出しますが、城から2km程度の所で包囲され自刃しました。
父の北条幻庵にとって最悪だったのが、氏信の弟で箱根権現の別当職である長順(箱根権現の僧兵を率いていたと思われる)も兄と一緒に最期を迎えてしまった事でしょう。
幻庵の息子は3人で、長男は既に病没していますので、全ての息子を失った事に成ります。
幻庵の久野北条家は北条一門衆の中でも最大の領地を持つ家のため、北条一門から2人の養子を向かえますが、何れも早世してしまいます。(2人のうちの一人は上杉謙信の養子で、謙信の死後に上杉の家督を争った上杉三郎景虎です。通り名の三郎は久野北条氏の当主が代々名乗った名前です)
話が逸れましたが、1つ会戦が与えた影響としては、三増合戦はかなりの影響を与えた戦いであったと言えるでしょう。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)

【狂犬通信 Vol.111】甲斐國都留郡・小菅城

久しぶりの狂犬通信。
前回の日之出城を訪れた帰り道の記録です。

toei-sportif.hatenablog.com

塩山からの帰りは、柳沢峠(R411)~小菅村~鶴峠~藤野で帰って来たので、小菅城の前を通るので、30分位で見てまわれる小城なので寄って見ました。(小さいけど駐車場もあるし)
小菅城は小菅集落の北の外れにある小菅氏の居城です。
小さな二つの曲輪を中心に3本の堀切と数本の竪堀に切岸で構成された小さな城です。
小菅村は武蔵との国境の村で、小菅氏は武蔵の北条領に度々侵入し、逆に北条方も小菅領に度々侵入して、小競り合いを繰り広げた事が記録に残ります。
この城は戦国大名が築城した国境要塞とは異なり、特定の方向からの攻撃を意識した作りに成っておらず、いかにも辺境の小領主の城といった感じです。
これは奥多摩の北条方の城も同じで、武田と北条の大大名の国境でも、大規模攻撃が実施出来ない山間部では、警備はそれほど厳しく無かったって事なんでしょうね。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)