横浜道とは、東海道と横浜を結ぶ陸路が、まだ程ヶ谷(保土ヶ谷)宿から井土ヶ谷を迂回するしかなかった幕末の頃、現在の環1浅間下交差点付近から港方面へのバイパスとして開通させた道です。
竣工当時、この道から東側一帯はまだ海でした。
2017年2月4日撮影
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これは敬老の日の散策の記録です。
朝のうちは3連休の中で一番の好天でしたが、すっかり寝坊して自転車に乗り損なってしまいました。
せめて日中はたっぷり歩くことにしましたが、気温が急上昇して暑い1日となりましたね。
最初に散策のターゲット(ご褒美)にしていたのは、実は鶴見の「グリル来来」でした。
東急東横線の菊名駅を散策スタート地点とし、頼むメニューも「チャーメン」か「ホルモン焼き定食」からの2択と決めて、口の端から涎を流しつつ家を出ました^^;
地元の私鉄電車に乗り込んでから、念のためとスマホで営業日を確認すると・・・
「月曜日 定休日」
しまったぁ~!
電車に揺られながら大慌てでリカバリ策を考え思いついたのは、以前から一度行きたいと思っていたサンマー麺発祥の店「玉泉亭」。
伊勢佐木町にあります。
平沼橋駅で降車し、横浜道を歩いて野毛山を超えて行けば、ちょうどいい散歩になりそうです。
先ずは線路沿いを横浜駅方面に。
かつて平沼第一踏切があった場所に、大きな平沼一之橋が架かっています。
※平沼第一踏切は2004年に閉鎖され、その後撤去
この橋の袂から戸部方面に連なる平沼商店街が、かつての横浜道の道筋。
平沼商店街を歩いていると、小さなバス停らしきものが目に入りました。
コミュニティバスでも走るのかと思いきや、「urayoko net」の参加店を表す統一サインらしい。
そう言えば、何年か前にウラヨコがブームになって、ほんの数店ですが飲みに行ったことがありましたっけ。
京急の高架をくぐります。
すぐ右側に、1943年に廃止となった平沼駅の遺構があります。
平沼商店街を抜けると、石崎川を敷島橋で渡ります。
横浜道開通時、ここには石崎橋が架けられました。
その後、石崎橋はやや上流の現在の位置に移動し、その後に敷島橋が架けられました。
ちなみに、石崎川の流路は、横浜駅二代目時代に東海道線が敷設されていたルートになります。
西区が整備する古道の案内標。
三角形の3辺は、東海道、保土ヶ谷道、そして横浜道を表します。
う~ん、微妙に似てるな(;^_^A
ちなみに、保土ヶ谷道は4年前に歩いて記事にしていました。
遠方に凄い駐車場発見。
ここでアクセルとブレーキを踏み間違えたら一巻の終わり?
しばらく歩くと、クラシックな佇まいの銭湯がありました。
やがて道は市道横浜駅根岸線と合流。
かつての保土ヶ谷道との合流点も、ほぼこの辺り。
横浜道は、この先現在の市道横浜駅根岸線に沿って野毛の切通しを抜け、野毛坂交差点から関内駅方面に向かいますが、この日はターゲットに向かって西に分岐します。
野毛山をさらに登って、野毛山交番前へ。
せっかくなんで野毛山動物園前を冷やかします。
その昔、小学校の遠足で訪れたきり、この辺りへ来る機会はありませんでした。
近くの展望台も覗いてみたいところでしたが、暑いので先を急ぎます。
半僧坊坂を大岡川に向かって下って行きます。
坂の途中、横浜市立東小学校の石垣に、何かの名残のような構造体を発見。
大岡川を渡ってしばし歩くと、細長い伊勢佐木町の真ん中辺りに刺さります。
そして、目的地「玉泉亭」にとうちゃこ。
注文したのはもちろんサンマー麺・・・
と言いたいところですが、ついつい欲張ってサンマーワンタン麺を^^;
たくさん飾られた色紙と、、、
田中角栄の写真が歴史を感じます。
おっ、アド街ック天国に出るんですね!
放映は・・今度の土曜日!
あらまあ、いいタイミングで訪れてしまった(;^_^A
ケレン味ない昔ながらのサンマー麺、じゃなくてサンマーワンタン麺を食べ終わると、伊勢佐木町通りで関内に向かいます。
こちら、音楽イベントが行われる CROSS STREET。
その名はゆずの命名とか
ゆずとともに、伊勢佐木町といったら忘れてはいけないのがこの人
イセザキモールも、いつしか足が向くことがなくなっていました。
オデオン座も松坂屋も随分前に姿を消しました。
並んでいる店はすっかり入れ替わって特に感慨もありませんでしたが、以前の場所に佇む有隣堂本店を見ると、思わず高校生時代を思い出してしまいました。
吉田橋を渡ります。
駅前を流れていた川が高速道路になったのは1977年のこと。
日頃歩かない場所も多々あり、所々懐かしさがこみ上げてくる道筋でした。