今朝の降水確率は20%でしたが、自転車乗りの思いが天に通じたのか、横浜は梅雨空ながら雨は降っていませんでした。
今日は、桜の季節に備えて戦車道路の下見に行ってきました。(気の長い話)
鶴見川を上流に向かって進むと、いつも見る中下流域とは違う顔を見せてくれます。
鎧橋付近にある鎧堰跡
案内板を読むと、何でも1565年(!)に構築した堰を、地元住民が400年以上に渡って守ってきたが、2009年の河川整備で撤去したとあります。
何故、400年以上も維持してきたものをこの平成の世に撤去したのか?
何故、築いてから400年後に撤去した、その僅か2年後に巡り合うのか・・・
それにしても、案内板の図解を見ても、何を目的とした構造なのか理解できませんでした。
図師大橋近くから住宅街を抜けて尾根道の入口まで登ったのですが、私にはここがモンテ・ゾンコラン。インナーを使って歩くスピードで進みました。
桜美林大学北方の緑道入口から西に向かって進みます。
南多摩斎場辺りまでは、緑道と一般道が併走していて、緑が気持ちいい普通の緑道に感じました。
南多摩斎場から先は、かつてここが戦車のテストコースと言われれば「うん、なるほど」と納得する広い道幅で、自転車で走るのがもったいない気分。
それにしても、こんな静かな尾根を戦車のテストコースにして踏み荒らすとは、、、
綺麗な緑道になり、地元の方の憩いの場となって良かった。
さてお約束?、今日はこの辺りで迷子になりました。
多摩美脇を走って16号線に出るはずが、中学校やら小学校やらしか出てこない上に、漢字が読めなくて(鑓水)心細くなる。
ただ、道に迷ったおかげでこんな所に出会えました。
小泉家屋敷(東京都指定有形民俗文化財)
今でも住人の方がいらしゃっる個人宅なので立入禁止です。
でも、この外からの佇まいだけでも感激です。
※追記※
ゆきまるさんから、鑓水(やりみず)についてコメントをいただきまして調べてみたところ、この小泉家前の通りが、幕末から明治にかけて賑わった「浜街道」、後に「絹の道」と呼ばれた、八王子から横浜へ絹を運ぶ多摩商人たちの通り道だったことを知りました。
この道を更に東に辿れば、私の在住する町もこのシルクロードの通り道。
何十年か暮らしてきて、そんなことも知らなかった自分に呆れるばかりですorz
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【今日のデータ】
走行距離 63.8km
最高速度 42.6kh
移動時間 3H11M
移動平均速 20.0kh
停止時間 36M37S
全体平均速 16.8kh
積算距離 684.8km