ヤァ!ヤァ!ヤァ!

やりたいことを やれるうちに やりつくす

こんなところ

突然ですが、、、

私の住む地域を簡単に紹介させていただきます。

行政区名で言いますと「神奈川県横浜市」となります。
神奈川県と言っても元々は武蔵国に属しており、東京都となるのが自然だったと思うけど、何故か廃藩置県で神奈川県に組み込まれました。
だから、横浜市民は出身地を訊かれても「神奈川」とは言わずに「横浜」と答えるのです(本当か?)

ちなみに、横浜市の中でも戸塚区等々の一部は元々が相模国に属していたので、訊かれたら「神奈川」と答えるのが筋だと思います(炎上するぞ😅)

で、ここらの特色です。

あくまでも個人的な思いですが、大きく次の5つかと。

1.動物園

横浜市には「北の森」と「南の森」と(一部の人たちから)呼ばれる大きな2つの一帯があります。
横浜の原風景を残す、この横浜北の森の一画に森を潰してできたのが「よこはま動物園ズーラシア」です。

www.hama-midorinokyokai.or.jp

言葉に棘があるようにお感じかも知れませんが、正直森のまま残して欲しかったです。
子供たちは小さい頃当然のように遊びに行きましたが、私は一度も入園したことがありません😅

2.畠山重忠のゆかりの地

鎌倉時代の武将畠山重忠のゆかりの地として、彼を祀る霊堂「薬王寺」があり、ここで毎年命日である6月22日に慰霊祭が行われます。

また付近にはいくつか史跡が残されています。

www.city.yokohama.lg.jp

3年前に、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映されていた頃は、ここ旭区のマスコットキャラクター「あさひくん」に武将のカッコをさせてブレイクを狙っていましたよ😅

news.yahoo.co.jp

ちなみに畠山重忠の生誕地は現在の埼玉県深谷市畠山で、ここ横浜市旭区は彼が北条時政の企みで壮絶な死を遂げた場所です。

3.鎌倉街道中道

鎌倉時代には、鎌倉から北関東に向かう3本の道が官道として整備されていたと言います。
3本とは、武蔵西部から信濃、越後に繋がる上道、武蔵東部から陸奥に繋がる中道、そして武蔵東部から常盤に繋がる下道のことです。

kaidouarukitabi.com

当地はこの中道の通り道であり、畠山重忠も居住地より中道を通って鎌倉に向かう途中にこの地で没しました。

4.絹の道

幕末に横浜港が開港した後、八王子周辺や甲州、上州などの産地から八王子に集められた生糸を輸出するために横浜港へと運ぶ「絹の道」いわばシルクロードの通り道でした。

kaidouarukitabi.com

現在のR16に沿った街道で、八王子に通じることから「八王子往還」と呼ばれていました。

5.水道みち

横浜市のWEBサイトによれば、

相模川と道志川の合流地点の三井(現在の相模原市緑区三井)を水源に水道の建設に着手し、明治20(1887)年10月に日本初の近代水道として給水を開始しました。

とあります。

当地はこの導水路の通り道です。
もちろんこの水道は今でも現役で、地下をこの水道が通じている道は「水道みち」と呼ばれています。


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どうして突然こんなこと書いているかと言うと、今日は何もすることがなくて暇ってこともありますが、朝のウォーキングでこんな案内板を発見したからでした。

この案内板によれば、

運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。

とあり、水道管を施設した当時はこの導水路に沿ってトロッコが使われていたとあります。

この案内板はルート上に26設置されているそうですが、この場所ではこれまで気付きませんでした。

昔、この道にレールが敷かれていて資材を積んだトロッコが往復していたかと思うと感慨深い思いが湧きますが、

この先ちょっと横浜方面に進むと、結構な勾配があって、、、

この坂道を、トロッコがどうやって行き来したのか不思議であります。


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こうして、仕事で送り迎えを行っているご利用者さん宅の場所やルートを確認する目的でウォーキングをする機会が増えています。

日中なんてとても歩いていられないので早朝オンリー。
でも今日は日中も割と暑さも控えめでエアコンを使わずに過ごしています。

盛夏もまだと言うのに、早くも秋の到来が待ち遠しい今日この頃