旧国こと旧型国電。
あっ
国電とは、JR発足前の日本国有鉄道が保有していた電車を略した愛称です。
いや、ちょい待ち
国鉄(日本国有鉄道の略称)の電車が全て国電と呼ばれていたわけではなく、原則通勤型車両を指して使われていました。(少なくともここ首都圏では)
通勤型とは、都心界隈で運用されていた4扉ロングシート車のこと。
113系のような3扉セミクロスシート車は、バリバリ通勤に使われていても近郊型と呼ばれていました。
もう一つ
旧国こと旧型国電とは、101系(当初90系)登場前の吊り掛け式という駆動方式を採用する電車群を指します。
私の生まれた1959年以前に製造された車両たちと言っていいかも知れません。
なので、私はぎりぎり新型なのかな(笑)
で
私が高校生の頃「旧国の博物館」と呼ばれた路線が東海地方にありました。
飯田線です。
スカ色に塗られた旧国が、きら星の如く在籍していました。
私のお気に入りは、流電・合の子一派と
42系一派がダントツの双璧。
とりわけ流電には一度乗ってみたいと憧れたものです。
しかし、学生時代は遊び盛りなのにお金なんてない。
当時のお金の使い道として、鉄道趣味は最後も最後でした。
飯田線にはとうとう一度も行かないまま、流電を始め旧国は全て引退してしまいました。
それから数年経った頃。
社会人となってちょっとは自由にお金を使えるようになり、日暮里のロコモデルを訪れて、憧れの車両を手にしたのでした。
流電
合の子
ちなみに「合の子」の愛称の由来は、流電の最終増備車として登場した当時、流電の問題点とされたスカートの撤去と乗務員扉の設置を行い、また流線型の効果に疑問があったため半流張り上げ屋根となったものの、室内模様、窓配置、性能、足廻りなどは第2次広窓流電モハ52と同じであったため、モハ43に編入されて「合の子急電」と呼ばれたとのことです。(誠文堂新光社『国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編(上)』より)
で
何とかこの2両を手に入れたものの、その後増備に至らず現在に至る。
でも、今さらですが(笑)2両では絵になりません。
で
今さらですが(笑)中間車を増備することにしました。
流電と合の子が混在する編成なんてなかったと思うので、実際の編成に拘っても仕方ありません。
そこで、現在ペーパーキットが販売されているこの車両を2両挟んだ4両編成を仕立てることにしました。
横須賀線に投入された70系2等車のサロ75を格下げし3扉化された車両です。
久しぶりの模型作り。
ペーパーモデルの教科書を集めました。
何とか形にしたいなあ~
目標がないと投げ出しそうなので、のんびり年度内完成を目指したいと思います。
乞うご期待!