都留郡の勝山城は富士急の谷村駅の西側、桂川を渡った場所に築かれています。
この城は都留郡の領主である小山田氏の居城であった谷村城の詰城として築城された様です。
武田氏滅亡のおり、小山田信繁が武田勝頼を自身の居城である岩殿城に迎える事を提案したと言われていますが、小山田氏の本拠は谷村であり(って言うか、都留郡の中心部)、岩殿城ではありません。
この城は徳川氏の関東移封後に甲斐に入った浅野長政(豊太閤の義弟)の義甥の浅野氏重により改修されており、すっかり織豊系城郭に変貌しています。
現在も主郭(もはや、本丸と呼ぶべきか…。)の一部に石垣が残り、崩れた石垣の石が城内の所々に転がっています。
20年位前に来たときには、あまり整備されていませんでしたが、今はすっかり整備されています。
※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)