ほぼほぼ野外活動記@横浜

週末の超スローライフを綴ります ポタリング、釣り、キャンプ、ハイキング、散策、外飯、庭呑み・・・

燕よ、さようなら

新たな年度を迎える本日、一大決心しました。

今ではすっかり燕党を標榜していますが、実は私、50年近く前まではG党でした。

当時、BS・CS放送はもちろんなかったし、UHFの地元ローカル局も開局したばかり。
テレビ点ければ、毎日Gのナイター中継だけをやっているんだから、そりゃ誰でもG党になります。
もちろん周りの友人も皆Gファン。

そこに追い打ちをかけるように「巨人の星」です。
学校が終われば、毎日広場に集まって野球をやるんですが、あの頃一体大リーグボールをトータル何百球投げたことか・・・(大半は3号)
こんな環境に育って、他球団に目が向くわけがありません。

ちなみに、地元で「イーグルズ」という名の野球チームを作ったんですが、「3」の先を越された私は、背番号「6」でした。
そのため、土井正三のファンになったというプロセスの逆転。
皆に受けるから、一二塁間狙って流し打ちばかりしていました。

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中ニの夏。

この頃、ちょうど反抗期を迎えていた私は、毎年当たり前のように優勝する強いGに反発を感じるようになりました。
他人と違う振る舞いがしたくなる年頃でもあります。
もうGを応援するのはやめよう。
で、どこを応援するか?

白羽の矢が立ったのがヤクルトです。

万年Bクラスの弱小チーム。
この、鯉と並んで一番弱そうなチームを応援するのって、カッコ良くないか?
それに、最下位が当たり前なんで、Aクラスに入っただけでも感激できそうだし、万が一優勝でもしようものなら「俺が育てた」と自慢できるじゃないか!
しかも、当時チームは弱かったけれど、松岡、安田、そして若松と、セリーグを代表するような若手が現れて、もしかしたら強くなるかもよと思わせる雰囲気もありました。

なーんて、子供ながらもいろいろ打算が働いてこの球団を応援することにしました。

ちなみに、この球団で嫌だったのが「アトムズ」っていう子供じみたニックネームと、このシンボルマーク

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「Y」と「A」を組み合わせたこの意匠、どうもみてもGのパクリです。

しかし、1973年のオフには、球団名が「ヤクルトスワローズ」に変更。
当然、球団のマークも変更になります。
ダサいイメージがちょっと払拭されて、ますます燕に入れ込んでいくのでありました。

そして翌1974年には、当然10連覇するものと思っていたGが優勝争いに敗れ、龍に優勝をさらわれました。
プロレスのように、最後はGが優勝する筋書きかと思っていたけれど、もしかしたら燕だっていつかは!と、応援に熱が入っていくのでありました。

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1978年。
夢は意外にも早く実現しました。
仲良し球団を、広岡監督が一変させました。
この年、大学入試に失敗した私は一浪中でしたが、当然のように二浪することになりました。

やがて、球団はノムさん監督就任によって黄金時代を迎え、ノムさんの残したものを食いつぶして今に至っています。

いつの間にやら、まだ優勝の味を知らなかった仲良し球団時代に戻ってしまったかのようです。

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まあ、こんな経緯で燕を応援してきました。
しかし、ここ数年のチーム作りや選手起用を見ていると残念なことばかり。
GMも監督も「いい人」で、他人に嫌われることはないでしょう。
しかし、世間や選手に迎合する、こんな人材ばかりを登用する球団に失望を覚えています。

人は老いると子供に戻るといいます。

私もこの歳になって、子供の頃夢中になったあの読売ジャイアンツを、今後鬼籍に入るまで応援していこうと、ちょうど年度の替わるこの4月1日、遂に決意致しました。