沼田城は大雄山線の沼田駅の西側の丘陵にあります。
江戸時代に編纂された新相模風土記にも記載されている城ですが、遺構が発見されて場所が特定されたのは昭和に入ってからのようです。
この城は波多野氏の庶流の沼田氏の居城でしたが、上杉禅宗の乱後には大森氏の城として機能していたことが記録に残ります。
武勇に優れた大森氏頼が岩原城で没した翌年、伊豆の伊勢盛時(北条早雲)は、大森藤頼の小田原城を急襲し、これを奪います。
大森藤頼は、真田城(東海大近く)に逃れ、三浦氏の支援を受けながら2年の間、北条氏の攻勢を持ちこたえますが、ついに力尽きて大森氏は滅亡します。
呆気ない最後は、単純に北条氏との領地争いに敗れたと言うより。永享の乱の大戦の中で滅亡したと最近の研究では言われています。
城はこの近辺の城の中では状態が良いのですが、城内は民家や農地と成っているため、見て回るのは難しいです。(地主さんに許可を取れば良いのですが…。)
※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)