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【狂犬通信 Vol.28】駿河國庵原郡・横山城

横山城はR52がR1から分岐して、小島集落の手前で道が大きく蛇行する場所に築かれています。
城主は今川氏の重臣の興津氏で、太源雪斎の実母の一族です。
城の麓には甲斐へ抜ける身延路が通り、東には駿河國を東西に分断するさった峠(漢字が変換できません)があり、駿河湾における海上交通の重要港である興津の港を望む交通の要衝にあります。
永録11年、武田信玄駿河に侵攻を開始します。
武田氏との関係悪化に伴い、今川氏真は妻の実家である北条氏に援軍を依頼し、さった峠の東側にある蒲原城には北条勢が援軍に入場していました。
武田信玄駿府を急襲し、今川氏真駿府を捨てて掛川城に逃れます。
武田信玄駿河侵攻は成功したかに見えましたが。北条勢にさった峠を押さえられてしまい、甲斐との交通線を脅かされてしまい、一部の守備部隊を残して信玄自信は甲斐に退却を余儀なくされる事態と成りました。
この後、陽動の為に関東に侵攻した信玄は、三増合戦で大勝し、関東の防衛のために北条氏は駿河の兵力を削減して、武田氏有利に戦いが進む事に成ります。
武田氏の勝利の一因として、この城を最後まで確保できた事が挙げられるでしょう。
実際に武田氏は滅亡まで、この城を重要拠点と位置づけて確保していました。
城は遺構の残存状況は悪くない様ですが、藪化が酷く城内への進入は困難な状況です。
私は10mで進入を断念しました…。┐( ̄ヘ ̄)┌
そのうち整備される事を期待しませう。

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※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)