先の土曜日、大宮の鉄博に行ってきました。
2007年10月に開館したそうなので、10年目にして初の訪問になります。
万世橋の「交通博物館」時代には、自分が子供の頃と子供が子供の頃に何度か訪れています。
以前は、電車や機関車が見れる場所ならどこでも喜んで出かけましたが、今ではそれに「懐かしい」という形容詞が付かないと、なかなか足が向かなくなりました。
鉄博はこの「懐かしい」を存分に備えているので、一度は訪れたいと思っていました。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
横浜から上野東京ラインのグリーン車に揺られて約1時間。
日頃は、東京駅始発が無くなって逆に不便とか、高崎線の遅れが東海道線にまで影響するとか、文句ばっかり言ってますが、こんな時は便利でニッコリ、現金なものです^^;
クリスマス直前で、
喧騒の大宮駅近辺で昼食をとってから、、、
初乗車のニューシャトル(本名は「埼玉新都市交通伊奈線」)で、、、
一駅先のその名も「鉄道博物館」駅へ。
改札を出てから広~いコンコースを歩けば、寒い屋外に出ることなくエントランスに至ります。
やって来ましたよ!
所狭しとたくさんの車輌が展示されていますねえ!!
万世橋時代から引き続き展示されている車輌ばかりでなく、、、
新たに保存された車輌も数多あり。
圧巻はやはり、ターンテーブルに乗ったC57でしょうか。
かつてのマレーから主役の座をバトンタッチ。
一日に何度か、汽笛を鳴らして360度回転します。
小学生の頃、東京駅や上野駅に、父親のカメラを持ち出して、友人たちと写真を撮りに行ってた頃の車輌たちがたくさん佇んでいます。
当時0系オンリーでバラエティのない新幹線は、全く眼中になかったなあ・・・
4枚扉の通勤電車も身近過ぎて興味の対象外。
特急列車には憧れましたねえ!
しかし、決して裕福とは言えなかった我が家では乗車機会がほぼ皆無で、所詮は見るだけの存在。
中でも、飛び抜けて恋焦がれたのが「走るホテル」こと20系!
一方で、等身大(何のこっちゃ^^;)で好きだったのが急行型でした。
急行は、清水の親戚の家、伊豆の臨海学校、群馬の温泉等々・・・
一大イベントの際に乗る機会が度々ありました。
また、当時東海道線では153系の普通運用もあり、ちょっと出かける時に遭遇することもよくあったので、割と身近な存在でした。
今見れば味気ないこの車内の雰囲気が、未だに私の郷愁スイッチを一番刺激します。
高校時代、青梅線で73系に増結されたクモハ40に出会ってからは、旧国がマイブ-ムとなりました。
飯田線を走っていた流電の廃車が決まって、しばらく身延線の富士宮駅に疎開留置されているという噂を耳にして、学校をサボって写真を撮りに行ったことを思い出します^^;
今でも現役のゼロロク
数年前まで1097レの運用に就いていた時は、品鶴線の鶴見川橋梁でよく待ち伏せしましたね^^;
以前は鉄くずにしか見えなかったED40が、この頃は許せるようになってきたのは、私も少し大人になってきたってことでしょうか^^;
こうして展示車輌を一通り見た後は、ジオラマ見学。
ちなみに「レイアウト」を「ジオラマ」と呼ぶのは未だに抵抗あり^^;
ちょっと残念だったのは、HOではなくNゲージだったこと。
遠目には、何か小さいものが「シャーシャー」と走っていて、存在感がイマイチ感じられず。
鉄道模型が走っていても興奮できない自分に寂しさを感じていましたが、隣りに座った友人が寝ている様子を見て、皆同じと納得しました。
その他のコーナーもぐるっと回り、館内をすっかり堪能してお開きです。
そうそう、万世橋時代はこんなタイトルの映画の上映がありましたが、、、
今はやっていないようで、締めの映画はなしです。
最後に。
出口の外に、確か以前もあった修学旅行色の「なかよし号」(クハ167)の前で、同行の二人がなかよく記念撮影。
おまけ
ンパヤジ -ローユビ・トスリーツ?
JTB!(;^_^A