八幡山古郭は、江戸時代の小田原城本丸からJRの線路を跨いだ北側の山にあった築城から天文の頃まで小田原城の中心があったとされる場所です。
現在は高校の敷地&市街化により観察できる遺跡は、高校敷地の隅に残る土塁の残欠と、小田原城天守を望む場所にある曲輪跡程度ですが、高校の敷地を発掘したところ、大量のかわらけや、堀跡が見つかっています。
以前、小田原城天守と八幡山古郭の間に高層マンションを建てる計画がありましたが、市の建築許可か降りた状態から、小田原城郭研究会と地元住民が反対運動を展開して建設計画を撤回させた事件がありましたが、今考えると反対運動は正しかったと思えます。
※内容に誤りがある事があります。(by 綾瀬の狂犬氏)